(12)岩浪 不昧に粋なもてなし

松江藩主がくぐった御成門越しに見た岩浪の滝。櫻井家住宅を代表する文化的景観となっている=島根県奥出雲町上阿井
「上の間」と窓から見える庭園。部屋の縁は上下2段に造られている=島根県奥出雲町上阿井
滝をめでた松平不昧が名付けた「岩浪」の書。今も櫻井家に伝わる
 こけむし、ゴツゴツした岩肌を幾筋もの清冽(せいれつ)な水流が落ちる。その音に聴き入ると、心が澄み安らいでいく。江戸時代、松江藩の鉄師(てっし)頭取を務め、鉄づくりを取り仕切った櫻井家の住宅(島根県奥出雲町上阿井、国指定重要文化財)。その庭を彩り、個性的な美を際立たせるのが「岩浪(がんろう)」の滝だ。しかし、この滝がもてなしの心で造られた人工の滝と知る人は少ない。

 大名茶人として名高い松江藩主・松平治郷(不昧)が初めて櫻井家を訪れると聞き、6代当主の苗清(なえきよ)が1803年、滝を中心とする庭園と屋敷に「上の間」を造った。殿様を歓迎するためとは言え、滝までもしつらえる発想は豪放かつ風流だ。大いに喜んだ不昧が滝を「岩浪」と名付けた書が同家に伝わる。滝は高さ約15メートル。1キロ上流の内谷川から水を引き、岩の上から落としている。

 「水路を掘って導水するのは、砂鉄を採る鉄穴(かんな)流しをしていたのでお手の物。苗清は田部家から養子に入った文人だった。来訪を機に不昧から茶の手ほどきを受けた」と、13代当主の櫻井三郎右衛門さん(92)に教わった。

 櫻井家は静岡県掛川市を本拠地に、大坂の陣で真田幸村らとともに豊臣方として戦った戦国武将・塙団右衛門(ばんだんえもん)の子孫。団右衛門の娘が東北の雄・伊達政宗の側室に迎えられた関係で伊達家と交流があった。一方、不昧の正室も仙台伊達藩主の娘で縁がつながる。

 庭には藩主がくぐった御成門や御駕(おかご)石が現存。ソメイヨシノの桜色とトガの木の緑が鮮やかなコントラストを成す。「上の間」には、不昧お抱えの名工・小林如泥が腕を振るった欄間がある。縁側は上下2段の貴人廊下で、上を殿様が、下を家臣が歩いた。部屋の脇には茶室の瑞泉洞が設けられている。

 ぜいを尽くした「上の間」や庭園は、松江藩と鉄師たちの強い結び付きをうかがわせる。松江藩は1726年に「鉄方法式」の政策を導入。鉄師9家だけにたたら操業を認め、保護を受けた鉄師は藩に前納銀を上納した。

 たたら製鉄が出雲国を代表する産業に成長して、松江藩の重要な財源となり、製品が各地で重宝されたことを象徴する資料が「雲陽国益鑑(かがみ)」。他国から国益(現金収入)をもたらした産業をランク付けした番付リストで、西方筆頭の大関が「鉄山鑪(たたら)」だ。

 松江市史編纂(へんさん)委員の乾隆明さん(66)は「藩政改革を成功させ、幕末の知識人に日本一の富裕藩と認識された松江藩の原動力がたたら製鉄。櫻井家住宅は基幹産業がもたらした富や文化を象徴する」と位置付ける。

2015年4月13日 無断転載禁止