(14)海と山のたたら 田儀の歴史住民がつなぐ

田儀櫻井家の本宅跡を調査する田中正実会長(左)ら「田儀櫻井家たたら製鉄遺跡保存会」のメンバー。残された高さ15メートルの石垣が威容をさらけ出していた=出雲市多伎町奥田儀
田儀櫻井家の「海のたたら」の拠点となった越堂たたら遺跡。泥が横長に黒ずんでいる所が製鉄炉が置かれていた本床。後方は国道9号=出雲市多伎町口田儀
 松江藩の鉄師で、出雲市多伎町田儀でたたらを営んだ田儀櫻井家は、江戸時代末期の鉄の生産量が田部家(雲南市吉田町)に次いだとの記録が残る。隆盛を支えたのが、明治初期まで150年操業した越堂(こえどう)たたら(出雲市多伎町口田儀)だ。

 現在も発掘調査が続き、製鉄炉直下に炭を敷いた本床(ほんどこ)や小舟(こぶね)など、湿気を防ぐための地下構造が確認される。

 「田儀櫻井家の『海のたたら』の拠点です」。発掘を担う出雲市文化財課の幡中光輔主事は指摘する。

 出雲地域では多くが木炭を調達しやすい山中に設ける「山のたたら」だが、越堂は田儀浦を拠点に海運で成り立った。砂鉄は鳥取県西部、木炭は島根半島や隠岐から船で運んだ。製品の銑(ずく)も港から大阪や北陸へ運んだ。

 越堂の発掘は2006年に始まった。場所の特定には1961年発行の田儀村史に掲載された制作者不明の図面が役立った。詳細な記載に沿って、国道9号に隣接した民家の庭を掘ると本床が現れた。発掘を担当した出雲市文化財課の石原聡主任は「図面とぴったりで、本当に驚いた」と振り返る。

 越堂たたらは2009年、先に指定された他の遺跡と共に国史跡になった。

 田儀櫻井家のもう一つの中核は、本宅と大鍛冶場があった奥田儀の宮本集落。島根県奥出雲町上阿井の櫻井家から分家し、江戸時代初期に奥田儀村に進出。田儀や佐田のたたらから銑鉄を集め、宮本の大鍛冶場で割鉄に加工、出荷した。集落には平地がほとんどないが、1872年には700人が暮らしたとの記録が残る。

 ところが、82年に本宅を含む70戸が火災で全焼。櫻井家は90年にたたらを廃業し、宮本を去った。集落に残った住民は炭焼きや養蚕で生計を立てたが、次第に減少し、1995年にはついに無住となった。

 集落に残る金屋子神社や、本宅裏の高さ15メートルの石垣などを守るのは、93年に元住民や田儀の歴史ファンらで結成した宮本史跡保存会だ。歴史を学び、草を刈り、合併前の旧多伎町に、集落にある寺院・智光院などの修復を働き駆けた。この熱意が町や国を動かし、後の国史跡指定へつながった。

 現在は「田儀櫻井家たたら製鉄遺跡保存会」(107人)が活動を引き継ぐ。田中正実会長(82)は「放っておけば歴史は埋もれる。地域の立派な宝を大事に守り、後世に伝えるのが私たちの願い」と話す。

 保存会が尽力し、94年に復活した金屋子神社の祭りが、今年も5月5日に開かれる。メンバーは祭りに備えて草刈りや掃除を行い、境内に多くの人々が集うのを楽しみにしている。

2015年4月27日 無断転載禁止