(16)金屋子神社(下) 石見にも信仰の広がり

桜谷たたら跡の後背地にたたずむ金屋子神の祠。金屋子神に関する文献を残した石田春律の名が刻まれている=江津市松川町
金屋子神がシラサギに乗って降り立ったとの伝承が残る金屋子神社奥宮。横には伝承に登場するカツラの木がそびえる=安来市広瀬町西比田
 江の川河口から5キロ上流にある江津市松川町太田地区。国道261号から50メートルほど急斜面を登ると、石垣に囲われた場所に高さ1・3メートルの祠(ほこら)が静かに鎮座していた。石柱には「金鑄兒(かないご)太明神」の文字。江戸時代に銑鉄を盛んに生産した桜谷たたらの金屋子神社だ。祠の側面には石田春律(はるのり)(1758~1826年)の名が彫られていた。

 たたら製鉄は出雲国だけでなく、石見国でも盛んだった。鉄師だった石田家は江戸時代、江の川沿いで砂鉄や製品の銑鉄を取り扱う水運で繁栄した。

 娘婿で、4年前から同家を守る安楽兼英さん(67)は「1645年に江津市波積の石田家から分家してたたらを営み、5代目の春律の時代が最も栄えたそうです」と話した。春律は石見の地誌「石見八重葎(やえむぐら)」、金屋子伝承を描いた「金屋子縁起抄」を著した知識人でもあった。

 石見のたたらの隆盛ぶりは、金屋子信仰の広がりからも見て取れる。島根大法文学部の山崎亮教授(宗教学)によると、金屋子神の総本社で、安来市広瀬町西比田の金屋子神社に残る1807年の勧進帳には、島根、鳥取、広島、岡山、兵庫5県にまたがる約200カ所のたたらや鍛冶(かじ)場から神社へ寄付が届いた。島根では出雲の山間部はもちろん、江の川河口部や中流域からも寄せられた。

 たたら場で金屋子神が特に崇敬されたのは17世紀以降とされる。1784年に書かれた「鉄山秘書」によると、金屋子神はシラサギに乗って西比田の山林のカツラに降り立ち、たたらの技術を伝授した。

 一方、春律が1825年に著した金屋子縁起抄は、金屋子神が西比田より先に石見に降り立ち、桜谷たたらを創設した後、上流の邑智郡に技術を伝えたとする。

 山崎教授も、広島県北広島町の神職が16世紀に記した文書に「かないこ神」の呼称と、西比田の金屋子伝承の原型と受け取れる記述を確認している。金屋子の縁起類は17世紀以降に成立したと考えてきたが、「金屋子信仰の新たな方向性を開くかもしれない」と話す。

 島根県邑智郡や広島県北部のたたら遺跡では、16世紀の段階で先進的な地下構造が確認されている。考古学の研究者は、石見や広島側の技術が江戸時代の出雲国に広がったと見る。

 今も神秘のベールに包まれている金屋子信仰は、石見や広島のたたらとの関わりの中で、少しずつ明らかになり始めている。

2015年5月11日 無断転載禁止