(18)井野の棚田 鉄穴流しが生んだ1千枚

残照に浮かぶ上室谷集落の棚田。日本海を望む方角に照明をつけた中国電力三隅発電所が見えた=浜田市三隅町室谷
下今明集落のシンボルとなっている夫婦もみの木=浜田市三隅町井野
 千枚田を抜ける優しい風が頬をなでる。汗ばむほどの陽気となった5月中旬の夕暮れ時、日本海を望む浜田市三隅町井野地区の棚田を訪れた。

 同地区は江戸時代、津和野藩と浜田藩の領地があり、境界線となっていたのが折居川だった。各集落は三浦家の本家、分家がそれぞれ庄屋を務めた。

 田んぼの適地が少ない山あいでも、他の中国山地のたたら場と同様、良質の砂鉄が採れ、鉄穴(かんな)流しの跡は、農地となった。地区内では、少なくとも三浦姓の庄屋3軒がたたらを経営。江戸後期に砂鉄の品質を格付けした広島県の鉄師・佐々木家の文書には「一番諸谷(もろだに) 二番野地(のじ)」と、井野地区内の集落が良質の産地として上位に挙がる。

 28ヘクタールの急傾斜に1千枚以上の田がひしめき、日本の棚田百選に認定されている地区内の室谷棚田も、たたら製鉄がもたらした景観だ。上室谷集落の農業石原務さん(74)方の裏山では、かつて鉄穴流しをした水路が雑木に埋まっている。

 砂鉄は地元で製錬されるだけでなく、各地のたたら場にも運ばれた。広島県北部のほか、世界文化遺産候補の「明治日本の産業革命遺産」の一つ、大板山たたら(山口県萩市)でも使用された記録が残る。「井野は良質の砂鉄が採れることで有名だった」と語る石原さんは誇らしげだ。

 鉄師の中には、廻船(かいせん)業を手掛ける者もいた。上室谷集落の三浦家に残る江戸後期の文書は、たたらから産出した鉄を、遠くは山形県酒田市まで運んだと記す。第10代当主の三浦和成さん(64)は「農地が狭いので、リスクを背負って手広く事業をしないといけなかったのでしょう」と推し量る。

 井野のたたらは、明治時代に次々と消滅した。地区内の下今明(しもいまあけ)集落には鉄師の一族を祭る墓石とともに、高さ31メートルのモミの巨木が2本残る。双方の枝が手をつなぐような立ち姿から、地元では「夫婦もみの木」と呼ばれる。

 たたらの歴史をしのばせる地域のシンボルとして住民に親しまれ、帰省者の多い盆休みやクリスマスになると、ライトアップもされている。

2015年5月25日 無断転載禁止