(66)医光寺総門(益田)

七尾城の大手門を移築したと伝わる医光寺総門
 戦国期の豪壮な姿今に

 「ええもんやろう、医光寺の門やろう」。益田に古くから伝えられるフレーズだ。

 「ええもん」は、石見弁で「良い物」と「良い門」の二つの意味に取ることができ、子どもなどを相手に使われる。

 医光寺の門とは、1363(貞治2)年に創建された益田市染羽町の臨済宗の古刹(こさつ)・医光寺の総門を指す。1959年、県有形文化財として指定された。

 高さ4メートル、幅4・5メートル。益田市教育委員会によると、もともとは、中世から戦国期に益田を治めた益田氏の居城・七尾城の大手門だったという。

 1600(慶長5)年の関ケ原の戦いの後に、益田氏第20代元祥(もとよし)が長門国須佐へ移住し、廃城となったのに伴い移築されたといい、構造、意匠とも簡素ながら本柱は太く、戦国末期の豪壮な城門の姿を今に伝えている。

 高麗門形式で、屋根は切り妻造り、本瓦ぶき。中央を高くし、両側を一段低くした構造となっている。17世紀後半、九州岡藩(大分県竹田市)の御用大工の棟梁(とうりょう)「竹田番匠」が屋根を竜宮造りに改造したという。

 医光寺29代住職の家根原(やねはら)宗丈さん(45)は、独特の屋根について「傷んでいた門を直す過程で、職人が自身の持てる技術、技量を発揮したのだろう」と推察する。

 総門の前を通る県道中島染羽線の整備に伴い、1992年度に本堂から中門の延長線上に若干位置を移動し、解体修理が行われた。

 総門の近くにいすを持参して腰掛け、熱心にスケッチする人もいるという。家根原さんは「(国史跡・名勝の)雪舟庭園とともに、寺の顔です」と話す。

2015年6月11日 無断転載禁止