(23)江の川 水運生かし一帯繁栄

鉄や生活物資を運ぶルートとして地域の産業と暮らしを支えてきた江の川。奥の集落が潮村=島根県美郷町長藤
築200年を超す中原家住宅。儒学者・佐和華谷(さわかこく)が揮毫(きごう)した屏風(びょうぶ)やふすまが当時の繁栄をしのばせる=島根県美郷町潮村
 ゴトン、ゴトン…。川沿いのJR三江線のレール音が、朝もやの残る山にこだました。広島県北広島町の阿佐山を源流とする江の川は、全長194キロ、流域面積3900平方キロメートル。ともに中国地方随一で“中国太郎”の異名を持つ。

 河口から約65キロの中流域にある島根県美郷町潮村。人口は現在90人(5月末現在)で、山間部の典型的な過疎地域だが、江戸期から明治期にかけて、水運を生かした、たたら製鉄でにぎわった。

 潮村の旧家・中原家に残る文書によると、1698年に116人だった人口は、幕末の1866年には、2倍超の250人に増えた。石見銀山資料館(大田市大森町)の仲野義文館長は「人口を支えたのは、たたら製鉄で、江の川が大きな役割を果たした」とみる。

 旧大和村には31カ所のたたら製鉄遺跡が確認され、鍛冶屋も中原家が経営したものだけで12カ所あった。砂鉄は山を崩す鉄穴(かんな)流しだけでなく、江の川からも採った。製品は船で下流へ運び、石見の回船業者が遠くは東北へ運んだ。

 潮村に鍛冶屋が多いのはたたらで作った鉄を精錬し、炭素量の少ない付加価値の高い割鉄を生産したため。石見の海岸部で生産された安価な銑(ずく)に対抗した。

 中原家文書に登場する西田屋は、美郷町浜原の回船業者。中原家から鉄製品を仕入れて川を下り、米、塩、海産物など積んで上った。浜原は石見銀山街道と江の川の結節点にあたり、川港として重要な役割を果たした。

 中原家が購入した物品を同家文書で丹念に調べると、米、塩、酒、しょうゆ、瓦、大豆、麦、たばこなど多岐にわたる。品物は、同家が経営していた二タ郷(ふたごう)、今山など潮村内の鍛冶屋に配分。米は山形や新潟からも届いた。鉄が生み出す利益で、田畑の少ない村の生活物資を調達した姿が浮かび上がる。

 中原家の15代当主の義隆さん(82)は、「たたらは江の川一帯の一大産業だった。仕事があるところには人が集まる。人が集まるから品物も必要だったのだろう」と話す。中原家の築200年を超す邸宅は、たたらがもたらす豊かさを象徴。明治期に活躍した日本画家・中原芳煙(ほうえん)(本名・佐次郎、1875~1915年)も生まれ育った。

 川を船が行き交い、里山には炭焼きや鍛冶屋の煙が立ち上る…。川と生きてきた人々の歴史を重ねながら静かな川面を見つめていると、江の川の存在の大きさとともに、何とも言えぬいとおしさがこみ上げてきた。

2015年7月6日 無断転載禁止