(27)大板山たたら 石見人が礎世界遺産に

世界文化遺産に登録された大板山たたら製鉄遺跡。長州藩の洋式軍艦の建造を石見のたたら技術が支えた=山口県萩市紫福
大板山たたら製鉄遺跡そばの墓地。島根県奥出雲町や同県飯南町出身の人物の名が刻まれた墓石が残る=山口県萩市紫福
 山口県萩市紫福の大板山たたら製鉄遺跡は、日本海岸から約10キロ入ったひっそりとした山中にある。「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界遺産に登録された7月以降、週末は1日300人の来訪者でにぎわうようになった。

 欧米列強に迫られ、開国の流れが決定的になっていた1856年、長州藩は木製の西洋帆船・丙辰丸(へいしんまる)を自力で建造した。その錨(いかり)やくぎに大板山たたらでできた鉄が使われた。

 大板山たたらは1751年以降、江戸末期まで断続的に3回操業。そのほとんどに石見人が深く関与した。最初は津和野藩青原村(島根県津和野町青原)の紙屋伊三郎が関わった。2回目は浜田藩鍋石村(浜田市鍋石町)の江尾小右衛門、3回目は銀山領渡津村(江津市渡津町)の高原竹五郎が経営した。砂鉄は長州では採れず、浜田市井野地区から船と馬で運んだ。

 山口県内の製鉄遺跡を研究する梅光学院大の渡辺一雄教授(62)は「石見の鉄師が豊富な木炭資源を求めて進出した。長州も先進的な技術が欲しかった」とみる。長州藩の進取の精神と石見のたたらの技術が融合し、日本の近代化の一端を支えた。

 長州藩は1816年、密偵・野村伊之助を津和野藩内のたたら場に放った。その報告書「石州鑪五ケ所流鉄山仕法聞書」の成果なのか、江戸後期には長州藩内に続々とたたらが誕生。大板山と同様、石見の職人が続々と入った。

 大板山の墓地には、島根県奥出雲町や同県飯南町出身の人物名が刻まれた墓石もある。たたら場の職人たちは、現代人が想像するよりもはるかに広く、中国山地を移動したのだろう。

 世界遺産として脚光を浴びる大板山だが、曲折もあった。1970年代のダム建設計画で、水没の危機に直面したが、県教育委員会などの努力が実り、主要部は完全な形で残った。

 地元住民は昨年、たたらの保存会を結成した。会長の小野興太郎さん(69)=萩市紫福=は、物質科学が専門の島根大名誉教授。「地元の文化遺産が再認識された。遺跡を生かして地域を盛り上げたい」と意気込む。

 いつか奥出雲町の日刀保たたらから村下(むらげ)を迎え、大板山でたたらを再現する-。小野さんは、鉄を介した島根と山口の結びつきが、時代を超えて復活する日を夢見ている。

2015年8月10日 無断転載禁止