(29)鉄師伝えた祭り 時を超え地域で伝承

宵闇に浮かび上がる大呂愛宕祭りの山車。晩夏の奥出雲に幻想的な雰囲気を醸し出す=島根県奥出雲町大呂
たたら製鉄によって生まれた棚田の横を進む秋葉大権現十七夜祭りの山車行列=島根県奥出雲町竹崎の追谷集落
 斐伊川の源流を発する船通山の麓が夕暮れに包まれるころ、島根県奥出雲町の棚田が広がる集落を、華やかな幕や花飾りを付けた山車が練り歩く。山車の上では、化粧した振り袖姿の稚児たちが太鼓をたたきながら「あ~あ、よいよい」と合いの手を入れ、笛とかねの音が響く。

 同町竹崎地区では8月15日に「秋葉大権現(あきばだいごんげん)の十七夜」が営まれ、隣接する大呂(おおろ)地区では24日に「大呂愛宕(あたご)祭り」がにぎやかに行われた。ともに山車に乗った稚児が巡行し、囃子(はやし)を奉納する、うり二つの夏祭りは江戸時代に鉄師がもたらした伝統文化を受け継いでいる。

 松江藩の鉄師を担った卜蔵家(ぼくらけ)は竹崎地区の追谷集落を本拠地に、主力となった原たたらを築いた。1768年に原たたらの操業を開始する際、ともに「火伏(ひぶ)せ」(防火)の神様である秋葉大権現と愛宕大権現を、追谷と大呂の妙厳寺に祭り、京都の祇園祭の囃子を持ち帰ったとされる。たたらの高殿や山内集落、炭を焼く山が火災にならないよう祈ったのが始まりだ。

 しかし、伝統の継承は一筋縄ではいかなかった。二つの祭りとも担い手不足からいったん途絶える。その後、若者の手によって大呂愛宕祭りは1971年、秋葉大権現の十七夜は76年にそれぞれ再開された。当時、参画した追谷自治会長の木邑(きむら)光晴さん(66)は「子どものころに山車に乗った体験を思い出し、ぜひ復活させようと思った」と話す。

 今も少子化の波に洗われながら、子どもたちは7月後半から各地区の自治会館に集まって、太鼓の演奏を大人たちから教わる。姉の米田ちはるさん(12)=鳥上小6年=から今年初めて太鼓たたきを引き継いだ米田こころさん(9)=同3年=は「練習は大変だったけれど、楽しかった。来年もやりたい」と笑顔で話した。

 祭りがクライマックスに近づき、坂道を上る秋葉さんの山車の脇を歩きながらはっと気付いた。周りはたたら製鉄の原料・砂鉄を採った鉄穴(かんな)流しの跡にできた棚田。秋葉大権現のほこらは、聖なる場所を守るため、鉄穴流しで削らず残した丘の上にあった。

 奥出雲の人々の営みが創り出した文化的景観に、山車と子ども、大人たちの姿が溶け込んでいく。たたら製鉄がもたらした祈りや文化は、過去から未来へと引き継がれる。

2015年9月7日 無断転載禁止