(31)都合山たたら跡 奥日野顕彰の起点に

緑陰に眠る都合山たたら跡。砂鉄洗場(手前)や高殿跡(左側石垣の上)など山内集落の遺構がよく残っている=鳥取県日野町上菅
都合山たたらの操業の様子を再現した高殿模型=鳥取県日野町根雨、たたらの楽校根雨校舎
 「奥日野全体で350カ所あるたたら跡の中でも、ここが最高だ」。うっそうとした杉木立の中を歩き、伯耆国たたら顕彰会事務局長を担う藤原洋一さん(65)の言葉に納得した。伯耆の鉄師・近藤家が経営した鳥取県日野町上菅(かみすげ)の都合山(つごうやま)たたら跡。南北200メートル、東西100メートルの範囲に高殿をはじめ、■(金ヘンに母)(けら)を冷やした鉄池、砂鉄洗い場や金屋子神社、集落など施設全体の様子を伝える遺構が極めて良い状態で保存されている。

 それだけでも貴重だが、都合山は2度にわたり学術調査の光が当てられ、100人以上が働いた明治期のたたら製鉄の実像が描ける特筆すべき場所だ。

 始まりは1898年夏、浜田市出身の世界的な鉄冶金(やきん)学者で、文化勲章を受けた俵国一博士の来訪だ。東京帝大助教授時代、博士は洋鉄に押され失われつつあった、たたら製鉄を記録に残そうと中国山地に入った。

 都合山では各施設に加えて江戸から明治期、さまざまな暮らしの道具の素材となった包丁鉄の製造を詳しく記した。実際、稼働していた大鍛冶場の工程を最新の冶金学を学んだ研究者が見詰めた意義は深い。

 さらに、たたら製鉄を研究する島根県立古代出雲歴史博物館交流・普及課長の角田徳幸さん(52)が2008年に現場の測量と発掘を実施。施設が俵博士の記録通りの構造であることが判明した上、製鉄炉の地下構造が明らかになる成果を得た。

 日野町議会議長で都合山の地元で里山元気塾長を務める小谷博徳さん(72)は「角田さんの発掘がなければ今日、日野町のたたらを生かす地域づくりはなかった」と説く。折しも小谷さんたちが都合山に注目し、たたら場に至る2キロの道を歩けるよう整備した直後に発掘が始動。住民は角田さんから俵博士の調査を教わった。発掘時には多くの研究者が訪れ注目した。藤原さんも、「発掘調査がたたらへの関心に火をつけた」と振り返る。

 都合山などでの調査成果をまとめた俵博士の著書「古来の砂鉄製錬法」は、たたら研究の必読の書となった。古里の山陰に根付き、日本の発展を支えた、たたらの火を記録にとどめるという若き研究者の志は、角田さんの思いと重なりながら、奥日野の地に息づいている。

2015年10月5日 無断転載禁止