(32)印賀鋼 高い品質全国に名声

全国に知られた鉄ブランド「印賀鋼」を生み出した大地。稲刈りが進む田園が夕日に浮かび上がった=鳥取県日南町印賀、折渡地区
吉だたらの模型について住民に説明する井上恵子さん(左)=鳥取県日南町印賀、大宮地域振興センター内のたたらの楽校大宮楽舎
 銀色の輝きを放ち、ずっしり重い。鳥取県日南町印賀の旧大宮小学校校舎を活用した大宮地域振興センターで貴重な玉鋼を見せてもらった。伯耆国の鉄師・近藤家が操業していた吉(よし)だたらで造られた印賀鋼だ。印賀鋼は島根県邑南町産の出羽(いずわ)鋼と並んで刀匠らに「鋼の王」と評価された。昭和天皇が皇太子になられる儀式で用いられた剣も印賀鋼で鍛えられ、日本を代表する玉鋼の一つとされた。

 「秘けつは砂鉄の質の高さ。硫黄やリンなど不純物が少なく、割れにくい。長期に採掘できるほど量も豊かだった」。同センター事務長で伯耆国たたら顕彰会会員の西村幸治さん(60)が玉鋼を見ながら教えてくれた。日南町の印賀と阿毘縁(あびれ)、山上の山ノ上地区が上質な砂鉄に恵まれた。

 印賀での鉄造りの歴史は古く、鎌倉時代前半の1254年にまでさかのぼる。鎌倉の武士・古都(ふるいち)文次郎信賢(のぶかた)が印賀の阿太上(おたあげ)に入り、製鉄を始めた。さらに江戸後期の1809年、印賀でたたらを経営した青砥孫左衛門が「印賀鋼」の商標で大坂へ販売。トップブランドとして鳥取県日野町根雨の近藤家などに引き継がれた。吉だたら製の玉鋼で造られた刀は、抜群の切れ味を誇ったという。

 「日南町の歴史の中で、たたら製鉄が占めるウエートが非常に大きかった。全国に名をはせた上質の鉄がこの地から生まれたのは地域の誇り」。同町宝谷の井上恵子さん(74)が説く。井上さんらは大宮まちづくり協議会学習部で、5年前から地域に残るたたらの歴史を調べて存在感の大きさに気付いた。

 旧大宮小学校は伯耆国たたら顕彰会によるたたらの解説が展示され「たたらの楽校大宮楽舎」になっている。井上さんはそれらに加え、大正期の吉だたらの写真を基にした「吉鈩(だたら)製鉄場」や「野だたら」の模型を手作りして展示。たたら場を紹介する紙芝居も制作、住民に披露している。

 たたら場で働いた人々は外からやってきた特殊な技術を持つ集団。地元の農民らとの交流はほとんどなかったとされるが、農村はたたらが営まれることで、米が売れ、農民らは炭焼きや荷運び、鉄穴(かんな)流しなどで稼ぎ暮らした。井上さんはそんな歴史を「地元の人たちに知ってほしい」と願う。

 スサノオのヤマタノオロチ神話に彩られた船通山をはさむ奥出雲と奥日野で、江戸末期から明治初期、全国の鉄の7割を生産したとされる。日本の屋台骨を支えた鉄のまほろばは今後、地域の未来にとって輝きを増すに違いない。

2015年10月13日 無断転載禁止