(35)地形改変・於保知盆地編 歳月かけた大地の創造物

鉄穴残丘が点々とする於保知盆地。鉄穴流しによる地形改変の壮大な営みを感じさせる=島根県邑南町高水の町有宿泊施設「いこいの村しまね」から
香木の森の裏山に転がる、鉄穴流しで出た石=島根県邑南町矢上
 標高700~800メートルの山並みに囲まれた盆地の至る所に高さ20~30メートルの小山が顔を出している。島根県邑南町矢上、中野両地区にまたがる於保知(おおち)盆地を高台から見下ろす風景には、どこか違和感がつきまとう。小山の形状や高さがまちまちで、何となく不自然なのだ。

 同町文化財審議会副委員長の吉川正さん(66)によると、盆地のほぼ全域でたたら製鉄の砂鉄を採る鉄穴(かんな)流しが行われた。「小山は鉄穴残丘で、盆地の周囲の山から突き出ていた稜線(りょうせん)が削り取られ、跡地が田畑になっている」。盆地全体が人の手で削られた巨大な鉄穴流し跡なのだ。

 同町矢上の香木の森も全域が鉄穴流しの跡地。吉川さんの案内で温泉施設の裏山を歩くと、切羽(きりは)と呼ばれる断崖絶壁があり、水路やため池跡、砂を流した後に残されたままの巨岩の数々が往時のまま残っていた。

 鉄穴流しは、切羽で鍬(くわ)などで崩した土を、上流部の堤にためた水で一気に水路に流す。下で待ち受ける池で重い砂鉄を沈殿させ、選鉱する。山が崩れていくたびに、少しずつ水路や池の位置を変え、山全体を崩していった。

 良質な砂鉄を含む花こう岩質の於保知盆地では17世紀から鉄穴流しが行われ、砂鉄は地元でたたら製鉄に用いたほか、原料のまま広島の加計などに運ばれた。

 その規模の大きさを示す数字がある。鉄穴流しの影響をまとめた「中国地方における鉄穴流しによる地形環境変貌」(貞方昇著)によると、島根県邑智郡、広島県三次、庄原両市など江の川水系で行われた鉄穴流し跡地は3890ヘクタールに達し、於保知盆地を含む濁川流域が33%を占める。

 山を削った跡は田畑になった。旧石見町内では日貫や日和でも盛んに鉄穴流しが行われており、1975年の調査では同町内の農地面積944ヘクタールのうち325ヘクタールがその跡地だ。

 盆地のもう一つの特徴はため池の多さだ。矢上地区に75カ所、中野地区に49カ所あり、同町建設課の和田功農地災害係長は「周囲の山が低く、水が少ない地域なのでため池が多い」と説明する。水が少ない丘陵地を崩すために水をためる堤や水路を数多く造る必要があった。当然ながら鉄穴流し跡の田畑も水は不足がちで、鉄穴用の堤を農業用に転用した。水が少ない地域だからこそ生まれた一石二鳥の知恵だった。

 山を崩し、生活空間を切り開いてきた先人たち。鉄穴残丘、田畑、ため池からなる景観は、数百年の歳月をかけて人の手で造り上げた大地の創造物だった。

2015年11月2日 無断転載禁止