(36)地形改変・弓浜半島編 日本最大級の砂州形成

白砂青松の弓ケ浜を歩くと、奥日野からもたらされた砂鉄を今も観察することができる=米子市河崎
 北に島根半島、南に大山を望みながら弓ケ浜を歩く。境港、米子両市にまたがる弓浜半島は長さ18キロ、幅3~5キロ、面積は64平方キロ。日本最大級の砂州だ。波打ち際を見つめると、白砂が真っ黒に染まった場所がある。黒の正体は砂鉄。奥日野の花こう岩に含まれていた物が日野川と美保湾を経て運ばれた。この砂鉄の存在こそが、弓浜半島の成り立ちを物語る。

 中海側から美保湾側に向かい内浜、中浜、外浜がある中、外浜のほとんどが日野川上流域のたたら製鉄に伴う鉄穴(かんな)流しで出た膨大な土砂で形成されたことを示す研究成果がある。山口大学の貞方昇名誉教授が外浜の堆積物を調べた結果、大半が花こう岩の砕けた石英や長石で、「かなくそ」と呼ばれるたたら製鉄で生じるかすが含まれていることを突き止めた。

 江戸時代から干拓が行われた内浜についても、島根大学の林正久名誉教授が「鉄穴流しで出た土砂を流し込んで田を作る技を用いた」と説く。中海側の粟島は風土記の時代は島だったが、近世の新田づくりにより今は陸続きとなっている。

 さらに、上流で採取しきれなかった大量の砂鉄は日野川を通じて下流にもたらされ、島根半島を挟んで伯耆と石見の間でユニークな商圏を形成していく。

妻木晩田遺跡がある丘陵から眺めた弓浜半島=鳥取県大山町妻木
 幕末から明治期にかけて、淀江や小波、赤碕周辺から大量の浜砂鉄が回船に載せられ、石見方面に売りに出された。田儀櫻井家の越堂たたら(出雲市多伎町)をはじめ、百済(くだら)たたら(大田市鳥井町)、宅野たたら(同仁摩町)など日本海側と江川水系のたたらで使われた。回船は伯耆に戻る際に石州瓦を買って帰った。

 鳥取藩の文書などを読み解いた松江工業高等専門学校の鳥谷智文教授は「双方ともに利益が得られる取引だった。たたらは砂鉄が欠かせず、伯耆側は冬の寒さに強い石州瓦が必要だった」と考察する。

 弓浜半島はかつて、出雲国風土記に「夜見島(よみのしま)」と書かれた島であり、国引き神話に「三穂(みほ)の埼(さき)」を造る際の国土の引き綱として描かれた。古代人が発想した綱を拡大、発展させ、今の姿に完成させた陰の主人公こそ、奥日野で鉄穴流しに従事した人々の営みだった。

2015年11月16日 無断転載禁止