(37)松江藩と鉄師、森林 資源の「持続」に工夫

紅葉に染まった奥出雲おろちループ周辺の山林。かつて、絲原家のたたら製鉄に欠かせない炭が盛んに焼かれた=島根県奥出雲町八川
国内で唯一、本格的なたたら製鉄を営む日刀保たたらで使われる木炭=2015年2月、島根県奥出雲町大呂
 2重ループ橋として日本一の規模を誇る島根県奥出雲町八川の奥出雲おろちループを望む。一帯の紅葉と針葉樹の緑が鮮やかだ。「出雲と伯耆、備後3国の国境に近い森林は全て絲原家の山だった。たたらの炭を焼く炭窯が点々とあった」。同所で農業を営む田部美登(よしのり)さん(86)に教わった。

 田部さん自身、50年前に炭を焼き、日立金属安来製作所鳥上木炭銑工場の角炉向けに運んだ。冬の大雪でも木を切り、窯に持って行く作業に励んだ。「父から山は繰り返し使うと学んだ。ナラやクヌギを切ると30年かかるけど、自然に芽が出て大きくなるからありがたい」と振り返る。

 江戸時代、松江藩の鉄師を担った田部、絲原、櫻井の御三家を筆頭に、たたら製鉄を営むには膨大な量の炭、すなわち広大な森林が不可欠だった。

 この森林資源の利用に注目した新たな研究成果が、広島大大学院総合科学研究科の佐竹昭教授(61)によって明らかにされた。キーワードは「持続可能」だ。

 たたら製鉄をめぐり松江藩は独自の政策「出雲鉄方法式(てつかたほうしき)」を導入。江戸中期の1726年、領内の鉄師9人、たたら10カ所、大鍛冶場3軒半に限定して独占的な経営を保証した。合わせて鉄師が持つ山に加え他人の山や、村人たちが所有する山で焼かれる炭を買う特権も付与。仁多郡で場所と範囲を細かく決めている。

 御三家の古文書を読み解いた佐竹教授は、これらの背景に「藩と鉄師が試行錯誤の末、森林面積に見合った木炭生産に基づく鉄づくりを工夫した。森林資源の配分により、たたらの鉄生産、森林利用とも持続可能となるよう目指した合理的な仕組み」と位置付ける。

 具体的には明治期の絲原家の見積もりで、たたら1カ所、大鍛冶場2軒で年間130町歩、30年伐期で3900町歩の森林が必要と試算されている。

 現在のように石油や石炭、原子力などがない江戸時代、森林には燃料はもとより、山に生える草を刈り田に敷き込む肥料、建築や造船用の木材といった多様な需要があった。

 たたら製鉄の原料・砂鉄を得る鉄穴(かんな)流しが進んだ結果、新田が広がり、農民が肥料を求める声が強まった。

 奥出雲に連なる山々を見渡すとき、山林をめぐる多様な利害対立の中で、調整を図りながら限られた資源を活用し、地域全体の存続を心掛けた先人たちの創意工夫が立ち上る。

2015年11月23日 無断転載禁止