(38)たたらとそば 製鉄に伴い栽培拡大

水車小屋でソバの実をひく小池武徳さん。横田小ソバの甘みと香りを逃さないよう、昔ながらの石臼を使ったそば粉作りを続ける=島根県奥出雲町下横田、川西そば工房の川西ふれあい水車
白い花のじゅうたんを広げた横田小ソバの畑。栽培農家らは他品種との交雑を防ぐため、離れた場所にほ場を設けながら在来種を守っている=2015年9月、同町小馬木
 「ゴットン、ゴットン」と水車が回り、島根県奥出雲町でしか採れない在来種「横田小ソバ」が石臼で丁寧にひかれていく。「時間はかかるけれど、際だった甘みと香りを逃さない最良のひき方」。同町下横田で、川西そば工房を営む川西そば打ち倶楽部(くらぶ)代表の小池武徳さん(73)が説く。

 同倶楽部は、そば好きの有志が地域おこしに生かそうと2004年に設立。工房でそばを提供し、そば打ちも体験できる。集落では「そばのオーナー制度」も運営し、東京や大阪などからも口コミで知った会員が訪れる。小池さんは「近年特に横田小ソバを目当てに県外からのリピーターが増えており、やりがいがある」とうれしそうだ。

 「奥出雲のソバはたたら製鉄に伴い栽培が広がっていった。たたらで使う炭を焼くために木を切った後、焼畑をしてソバの種をまいた」。江戸時代、松江藩の鉄師を担った櫻井家第13代の櫻井三郎右衛門さん(92)に教わった。

 この言葉と響き合うように、櫻井家には江戸後期の天保といった年号が記された割子の器が数多く伝わっている。大半が四角い木製で、内側に汁とそばを入れ分ける仕切りがある。「25人前の一組は家での普段使い、赤漆を塗ったのは上客用、さらにそば好きだった松平不昧公も用いたとされる殿様用は輪島塗の椀(わん)」と櫻井さん。皆でそばをたぐる姿が浮かび上がるようだ。

 松江商業会議所専務を務め、島根の民芸運動をリードした太田直行は1938年に「出雲新風土記第一輯(しゅう)味覚の部」を刊行している。そばの章で太田は出雲では「仁多の八川産が第一」と高く評価。標高の高さや寒暖の差が大きいといった栽培適地としての条件を挙げ、草山を焼いた後にソバの種をまく様子を書き留めている。

 島根県立古代出雲歴史博物館の岡宏三専門学芸員(49)は最近、出雲そばに関する最も古い資料を見いだした。出雲大社の神職・佐草家の日記から、大社が遷宮の最中だった1666年、松江藩の役人が神職にそばを振る舞っていたことが分かった。

 松江藩松平家初代藩主・松平直政が信濃から入ったため、出雲のそばも信濃からもたらされたとみられる。岡さんは「山の暮らしの中で、そばは作りやすく食べやすい。里山の資源をフルに活用した、たたらにまつわる食文化が今も伝わる意義は深い」と位置づける。

2015年11月30日 無断転載禁止