(39)ナラ枯れ 山と人の暮らし切り離され

山仕事と疎遠になった森でナラ枯れに見舞われたコナラの木。枝が朽ち、風雪にさらされていた=島根県奥出雲町三成
炭焼き体験で、大崎強・須佐コミュニティセンター長(左)によるコナラのまき割り作業に見入る須佐小児童=出雲市佐田町朝原
 島根県内に初雪が降った11月下旬、奥出雲町三成の町役場の裏山で樹齢40年以上のコナラが無残な姿をさらしていた。2年前に広葉樹が次々に枯れる「ナラ枯れ」に見舞われた。

 ナラ枯れは、体長5ミリのカシノナガキクイムシ(カシナガ)がコナラ、アベマキなど広葉樹を枯死させる現象。無数のカシナガが幹に穴を開けて侵入し、餌になる菌を増やし、菌の作用で木の中で水を運ぶ道管が詰まる。夏場に葉が赤く染まり、やがて全体が枯れる。

 県内では1986年に益田市美都町で確認され、次第に県東部へ広がり、奥出雲町には2010年に到達した。県の集計では03年以降に枯れた広葉樹は7万7千本、失われた資源量は約2万5千立方メートルに上る。

 ナラ枯れはなぜ急に増えたのか。飯南町程原で10代から炭を焼いていた安江良夫さん(80)は「炭とシイタケでもうかった時代もあったが、木を切らなくなったのが原因」と話す。

 程原は古くはたたら製鉄が行われ、戦後は国有林の広葉樹を切って木炭を焼いた。昭和30年代にガスの普及で木炭が下火になると、広葉樹をほだ木にしたシイタケ生産に切り替えた。

 しかしシイタケも輸入品に押され、約30年で再生産する広葉樹の利用のサイクルが停止。伐採されずに残った太い木はカシナガの絶好のすみかになった。ナラ枯れは、山と人の暮らしが切り離されたことを象徴する現象とも言える。

 こうした山の異変を学ぶ授業が、出雲市佐田町の市立須佐小学校で行われている。3年生の総合的学習でナラ枯れの原因を通じ、山の役割と暮らしを考える。

 11月末には町内の寺尾自治会の協力で、15人の児童が町内で枯れたコナラで炭焼きを体験。木をまき割り機で割り、中から1ミリの幼虫が出てくると「カシナガの幼虫だ!」「気持ち悪い」と声を上げた。

 木を炭窯に入れ、窯口を赤土でふさぐ作業も手伝った。長谷川想人君(9)は「木が赤くなるのを何度も見て悲しい気持ちになった。山のことをもっと知りたい」と目を輝かせた。

 炭焼き体験をサポートする須佐コミュニティセンターの大崎強センター長(66)は「古里で、山を生かした仕事があったという記憶だけでも残していきたい」と話している。

 県東部では今もナラ枯れが広がるが、県西部は減少しており、虫が入っても枯れない耐性の強い木もあった。たたらの時代から山の暮らしを支えた広葉樹は病気に耐えながら、次の世代に生かされる日を静かに待っているように思えた。

2015年12月7日 無断転載禁止