映画プロデューサーのささやかな日常(33)

「ゲゲゲの鬼太郎」(実写版)
 なまけ者になりなさい

     ―水木先生が教えてくれたこと


   気楽に考えることで動けた


 11月30日に漫画界の巨匠・水木しげる先生が逝去されました。水木先生といえば、境港の鬼太郎ロード、隠岐の島の鬼太郎フェリー、米子鬼太郎空港など、鳥取と島根にお住まいの皆さんには最も親しみがある漫画家、作家なのではないでしょうか。突然の訃報で、親類を亡くしたような悲しい思いをされている方も多いことと思います。

 僕は水木先生の『ゲゲゲの鬼太郎』を実写映画化させていただいたご縁で、先生とは5、6回ほどお会いしました。2005年に初めて東京・調布の水木プロを訪れ、実務を担当されている次女の原口尚子さんと打ち合わせさせていただいた際のこと。先生がひょいっと後ろの部屋から現れ、事務所の中をひょろひょろとお歩きになり、尚子さんが僕を紹介すると、「映画はもうかるのですか?」とくったくのない質問をされて、恐縮しつつも笑ってしまったことを覚えています。こういう言い方は変なのかもしれませんが、「妖怪」というよりも「妖精」みたいな印象の方でした。

 実写化は尚子さん含め水木プロの皆さまにご快諾いただき、水木先生には「『何てったってオモチロイ』映画にしてね」と温かいありがたいお言葉をいただきました。ちなみに、実写版を手がけたいと考えたのは、僕が鳥取県出身であることがやはり大きいと思います。物心ついたときから鬼太郎のアニメや漫画で育ったことは自覚的ではなかったのですが、心の奥に深い影響を与えたのだと思います。妖怪たちの怖さと楽しさ、自由さ、一方で描かれる人間たちの愚かさ…。

 鳥取県出身だからこそ、自分にしかできない実写版を作ろうと思いました。もちろん相当なプレッシャーがありましたし、最初は実現不可能なプロジェクトに思えました。しかし、それまで読んだことのなかった水木先生のエッセーを読んだことで、その気持ちは大きく変わりました。

 「なまけ者になりなさい」。なんてすてきな言葉でしょうか。無論、読み手によってさまざまな解釈ができる言葉です。働いたからこそなまけてもいい、のか? それとも仕事なんて、しょせんなまけながらやるもの?なのか? 水木先生はそんな凡人の逡巡(しゅんじゅん)や悩みなど超越した場所にいて、まるでイキガミ様のように見えました。そんなエッセーを読みながら、映画化自体をのんきに、そして気楽に考えようとしたことで、やっと動きはじめることができたのです。

 鬼太郎に関する思い、エピソードは尽きないです。字数がなくなってしまいました。水木先生が亡くなられたことは本当に残念ですが、きっとあの世でも楽しく笑っていらっしゃると思います。また、素晴らしい原作を通じて境港の皆さんや映画の観客の皆さんと出会ったり、語らったりできたことは、水木先生のパワーによるものと感謝しています。心よりご冥福をお祈りいたします。

 (松竹映像本部 映画プロデューサー・石塚慶生、米子市出身)

2015年12月11日 無断転載禁止