論語(ろんご)で温故知新(おんこちしん)(6)


【訳(やく)】

 先生(孔子(こうし))が言われた。教養(きょうよう)・人格(じんかく)ともに高い人(君子)は失敗や過(あやま)ちを自分の責任(せきにん)として考える。しかし、まだまだの人(小人)は問題が起こると、その責任を人に押(お)しつけようとするものだよ。


失敗や過(あやま)ちは、まず受け入れよう

 ここでは、失敗や過ちを人から指摘(してき)された時のことを考えます。たいてい誰(だれ)でも心の中では「しまった。いけなかったかな」と思います。しかしその後が分かれ道だということです。


 ◆諸を己に求む◆

 孔子は、あらゆる失敗や過ちを「自分の責任」とすることによって、まず受け入れようというのです。これはあきらめとか、投げ出すということではありません。

 「自分の何が間違(まちが)っていたのかな?」

 「自分の課題(かだい)は何だったのかな?」

 「同じ間違いをしないためには何が必要なのかな?」

 ということを考えることによって、自分をさらに改善(かいぜん)していこうというものです。このように考えると、失敗や過ちの責任は“己に求む”方が成長できますね。難(むずか)しいことですが、これができる人のことを「君子」というのです。


 ◆諸を人に求む◆

 しかし、たいていの人間は自分がかわいいのです。だから、他人のせいにしたりして、かんたんに失敗を受け入れたくはありません。友達や親から失敗や過ちを指摘されたりすると、よけい意地(いじ)を張(は)ることもあります。みなさんにもおぼえはありませんか? このような人のことを論語では「小人」と呼(よ)んでいます。しかし、今は小人でも、これからの努力と心がけしだいでは「君子」になる可能性もあるのです。

 第3回論語でもよく似(に)た章句(しょうく)を述べました。

 「過(あやま)ちて改(あらた)めざる 是(これ)を過ちと謂(い)う」

 君子でも失敗や過ちはあります。だから、みなさんも失敗や過ちを隠(かく)すことはありません。むしろ、そこから何を学んだか? ということが大事(だいじ)なんだよ。

  (私塾(しじゅく)「尚風館(しょうふうかん)」講師・小倉雅介(おぐらまさすけ))

2015年1月21日 無断転載禁止

こども新聞