論語(ろんご)で温故知新(おんこちしん)(12)


【訳(やく)】

 先生(孔子(こうし))は言われた。「あれが欲(ほ)しいとか、これが欲しいとか、わがままな心を抑(おさ)えて、周(まわ)りの人々を敬(うやま)い、大切にし、謙虚(けんきょ)な姿勢(しせい)で礼儀(れいぎ)を尽(つ)くすこと。そのような実践(じっせん)の繰(く)り返(かえ)しが仁(じん)に通じる行(おこな)いだよ」


自分を抑(おさ)え謙虚(けんきょ)な態度(たいど)で礼儀(れいぎ)尽(つ)くそう

 この章句(しょうく)は顔淵(がんえん)という弟子(でし)が孔子に「仁とは何ですか?」と質問(しつもん)したときに答えたものです。「克己復礼(こっきふくれい)」ともいわれています。

 人間は誰(だれ)でも自分の弱さを持っています。ある時はその弱さのためにわがままになったり、私利私欲(しりしよく)に走ったりします。このような時には、ほとんど自分のことしか考えられなくなっているようです。後になって考えてみると、「良くないことだと誰でも分かるのに」と思います。そして、自分の気持ちを抑(おさ)えきれなかったことを後悔(こうかい)しませんか? こんな時は自分が情(なさ)けなくなりますね。


 ◆克(か)つ◆

 ここで「己に勝つ」ではなく「己に克つ」という字が使われていることにも注意しましょう。

 「克つ」ということは相手に「勝つ」ではありません。「自分を抑える」ということなのです。自動車に例えるなら、ブレーキがしっかり利くということでしょう。ブレーキの利かない乗り物は危(あぶ)なくて乗れません。人間も同じことです。


 ◆礼(れい)◆

 そこで、「己に克つ」ために「礼に復(かえ)る」ということが必要となります。

 「礼」とは何でしょう? 論語では中心の考え方となっている「仁」を形にあらわしたものが「礼」であるとされています。礼儀・礼節(れいせつ)は「自分中心」ではなく「相手を思(おも)い遣(や)る」という謙虚(けんきょ)な態度(たいど)です。

 たとえば服装(ふくそう)・言葉遣(づか)い・あいさつの仕方・食事の仕方など日常(にちじょう)生活で、少し気を配れば気持ちが変わります。気持ちが変われば、態度も変わります。態度が変われば、考え方も変わってきます。

 「克己復礼」は日常生活の中でこそ生かされる言葉です。

  (私塾(しじゅく)「尚風館(しょうふうかん)」講師・小倉雅介(おぐらまさすけ))

2015年4月15日 無断転載禁止

こども新聞