論語(ろんご)で温故知新(おんこちしん)(15)


【訳(やく)】

 志(こころざし)を同じくする朋(とも)がはるばる遠方(えんぽう)から訪(たず)ねてきて、なつかしく語り合う。何とも楽しいことではないか。


同じ志(こころざし)の「朋(とも)」と語り合う知的な楽しさ

 この章句(しょうく)は「学びて時に之(これ)を習う…」の続きです。共に机(つくえ)を並(なら)べて、学ぶよろこびを知った友人が、あるとき遠くからひょっこり訪ねてきたのですね。きっと、あの時にタイムスリップした気分になったことでしょう。


 ◆朋(とも)と友◆

 二つは同じ「とも」と読みますが、論語では区別しています。

 「同門(どうもん)の朋」という言い方があります。この「朋」は同じ先生について学問をしたり修行(しゅぎょう)をして志を同じくする「とも」です。たとえば、華道(かどう)・茶道(さどう)・書道(しょどう)など、お稽古事(けいこごと)や習(なら)い事で教えてもらう先生(あるいは流派(りゅうは))によって、そのやり方は違(ちが)いますね。したがって、同じ先生から教わった人同士(どうし)で、話が通じます。また、同窓会(どうそうかい)などで集まる時、担任(たんにん)の先生を中心にして「あの頃(ころ)」の話に会話が弾(はず)みます。これも、「朋」といえる人たちでしょう。


 ◆知的な楽しさ◆

 しばらく別れていた朋友(ほうゆう)と再(ふたた)び会って、あの頃のことを語り合います。その会話の中で、今になってやっと分かったこと、ずっと疑問(ぎもん)に思っていたことなどもあるでしょう。「過去(かこ)の学び」から今があること、そして、「未来の希望」や「夢(ゆめ)」を語り合うことでしょう。これが「亦(また)、楽しからずや」です。

 ワイワイガヤガヤのおしゃべりの「楽しい」と、どこがちがうでしょう?

 おしゃべりはその場だけの楽しさでしょう。ストレス発散にはいいかもしれません。しかし、一方で未来につながる知的な楽しさもいいものです。知的な楽しさは会話の後、心の中に残ります。そして、「やる気」「元気」につながることがよくあります。これこそ朋友の語らいの中によくある「楽しさ」だと論語は教えています。

  (私塾(しじゅく)「尚風館(しょうふうかん)」講師・小倉雅介(おぐらまさすけ))

2015年5月20日 無断転載禁止

こども新聞