論語(ろんご)で温故知新(おんこちしん)(19)


【訳(やく)】

 先生(孔子(こうし))は、あり得(え)ない怪談(かいだん)話や、信じられない力持ちの話や、道徳(どうとく)から外れるような話や、死者(ししゃ)とか神による不思議(ふしぎ)な力の話をされなかった。


極端(きょくたん)な考え方に深(ふか)入(い)りしない教え

 この章句(しょうく)を読むと、それでは「孔子は神様など信じない人だったのか?」と思いますね。しかし、それは違(ちが)います。それどころか、論語の中では「天(てん)」という言葉がよく出てきます。そして、「天」に対して疑(うたが)うことのない絶対(ぜったい)の信頼(しんらい)をしていました。


 ◆目に見えないもの◆

 「誰(だれ)も見たことのないもの(あるいは科学で証明(しょうめい)できないもの)は信じない」という人がいます。この人たちは「信じられるのは自分の力だけだ」ということになるのでしょうか?

 ところで、世界中の科学者の多くは神の存在(そんざい)を信じているのだそうです。今の科学では証明できないものがたくさんあります。何か人間の知恵(ちえ)や力では及(およ)ばない偉大(いだい)なもの(存在)が確(たし)かにあるというのです。


 ◆確かなこと◆

 今も昔も、人は何かを信じて生きてきました。信じる力があるから困難(こんなん)や壁(かべ)を乗り越(こ)えて成長したと思いませんか? そこが人間とロボットやコンピューターとの大きな違いでしょう。ある人はそれが「夢(ゆめ)や希望」であったり、「不思議な力」であったりしたでしょう。いずれにしても、信じるものがある人は、強く生きていけます。

 しかし、論語では極端(きょくたん)な考え方に深入(ふかい)りし過(す)ぎてしまうと、困(こま)ったことになるのも確かなようだと教えています。これが「怪・力・乱・神」について語ることを好まなかった理由ではないでしょうか。孔子は何事にも、行き過ぎること(やり過ぎること)を嫌(きら)いました。


 ◆生活の中で◆

 「役に立たない無駄(むだ)なことはしない」という考えがあります。たとえば、「論語で試験の点数が上がるのか?」と聞かれたら「点数には関係ない」と答えます。「しかし…」ということを考えてみると、どうでしょう?

  (私塾(しじゅく)「尚風館(しょうふうかん)」講師・小倉雅介(おぐらまさすけ))

2015年7月22日 無断転載禁止

こども新聞