哲学者 中村 元(なかむら はじめ)(松江市生まれ)

生涯学び続けた中村元
病気で休学中に宗教や哲学勉強

 インドに古くからある思想(しそう)や、仏教などを研究した東洋哲学者の中村元(なかむらはじめ)(1912年~99年)。思想に限らず、歴史や文化など研究分野は多岐(たき)にわたり、多くの著作(ちょさく)を残しました。

 元は松江市殿町で生まれ、実家は同市奥谷町にありました。父の仕事の都合で、1歳の時に東京都に引っ越(こ)しました。幼いころから読書が大好き。一方で、体育と音楽の授業(じゅぎょう)は苦手でした。

 東京師範(しはん)学校付属(ふぞく)中学校(現筑波(つくば)大学付属高校)に進学が決まってしばらくした1925(大正14)年、病気にかかり、1年間休学しました。元は同級生と一緒(いっしょ)に学ぶことができず、落ち込みました。休学中に手に取ったのが宗教(しゅうきょう)や哲学に関する本でした。NPO法人中村元記念館東洋思想文化研究所の谷口博則副理事長(66)は「哲学者の道に進む一つのきっかけとなった」と話します。

 その後、東京大学印度(いんど)哲学梵文学(ぼんぶんがく)科を卒業。学問への探求心(たんきゅうしん)は尽(つ)きることはなく大学院へ進学しました。主にインド哲学や仏教について研究しました。その際には原始仏典を読むために、インドの公用語であるサンスクリット語やパーリ語を習得しました。英語やドイツ語、ヒンディー語なども自由に操(あやつ)りました。

元の遺品や資料が閲覧(えつらん)できる記念館=松江市八束町波入
 48(昭和23)年にはインド人、シナ(中国)人、韓国(かんこく)人、日本人、チベット人の思想を紹介した「東洋人の思惟(しい)方法」を出版しました。釈迦(しゃか)がインドで始めた仏教が、各国に入ってきた時の受け止め方を記述。歴史や文化などを背景に、ものの考え方の特徴(とくちょう)をつづりました。英訳(えいやく)もされ、海外でも読まれています。

 元は自分の研究だけでなく、東方研究会(現中村元東方研究会)を創設(そうせつ)し、若い研究者たちの育成にも力を入れました。その7年後には長年の研究が認められ文化勲章(くんしょう)を受章。亡くなるまでに1500以上の書物や論文を書きました。自宅にあった研究のための本はおよそ3万3千冊。研究の時間を何よりも大切にしました。玄関(げんかん)の鍵(かぎ)を開ける時間さえ惜(お)しく、鍵をかけないほどでした。

 人柄(ひとがら)や研究業績を顕彰(けんしょう)するため2012年、松江市八束町波入に中村元記念館が開館。集めた本や思い出の品が所蔵(しょぞう)されています。元が松江で過ごした時間はわずかでしたが、その後も先祖(せんぞ)の墓参りなどで訪問し、故郷への思いを強くしました。1989年には松江市名誉(めいよ)市民となり、大変喜んでいました。

 元は東洋思想から寛容(かんよう)や慈(いつく)しみの心を学びました。谷口さんは「『他者を軽んじたり、苦痛を与えることを望んではならない』と生涯(しょうがい)言い続けた」と遺徳(いとく)をしのびます。


2014年11月19日 無断転載禁止

こども新聞