作家 森 鴎外(もりおうがい)(島根県津和野町生まれ)

森鴎外(津和野の森鴎外記念館提供)
心の中にいつも古里(ふるさと)の風景

 森鴎外(おうがい)(本名・森林太郎(りんたろう))は、1862年1月19日、石見(いわみ)国津和野(つわの)の町田村(現在の島根県津和野町町田)で生まれました。日本が近代化へ進む明治・大正期に、軍医として、作家として二つの人生を生き抜(ぬ)きました。生涯(しょうがい)で実に多くの作品を残した津和野が生んだ文豪(ぶんごう)です。

 鴎外は津和野藩主(はんしゅ)に仕えた医師・森家の長男として生まれました。明治維新(いしん)が始まる4年前のことです。津和野にある森鴎外記念館の隣(となり)には鴎外の生まれた家(国指定史跡(しせき))が当時のまま残されています。5歳(さい)で論語(ろんご)を読み始め、7歳で津和野藩校の養老館(ようろうかん)に入学。その秀才(しゅうさい)ぶりは群(ぐん)を抜(ぬ)いていました。

津和野町後田の永明寺にある森鴎外の墓
 家を継(つ)ぐ期待を一身に背負(せお)い、医師(いし)になるため、10歳で上京。東京大学医学部卒業後は陸軍省に入り、軍医として働きます。22歳で衛生(えいせい)学の研究をしにドイツへ留学(りゅうがく)。4年間の海外生活で西欧(せいおう)の文学や芸術(げいじゅつ)、文化に触(ふ)れたことが、その後の人生に大きな影響(えいきょう)を与(あた)えました。

 帰国後は医学界の発展(はってん)のために奮闘(ふんとう)する一方、翻訳(ほんやく)や作家活動を始めて、文学作品の創作(そうさく)に励(はげ)み、ドイツを舞台(ぶたい)にした小説「舞姫(まいひめ)」など数々の名作を世に送り出しました。

 1894年の日清(にっしん)戦争、1904年の日露(にちろ)戦争では軍医として戦地へ。その間には鴎外にとって不本意だった小倉(こくら)(福岡県)への転勤(てんきん)がありました。津和野の森鴎外記念館の山崎一穎(かずひで)館長(76)は「この挫折(ざせつ)をバネに自分自身を見つめ直し、人間として一回り成長した転機だった。組織(そしき)と自己(じこ)のはざまで悩(なや)み、もがきながらも、逆境(ぎゃっきょう)を乗り越(こ)えるために我慢(がまん)強く努力する大切さを教えてくれる」と語ります。

津和野町町田にある森鴎外旧居
 そして45歳で軍医最高位の軍医総監(そうかん)に登りつめました。作家としても「ヰ(い)タ・セクスアリス」「青年」「雁(がん)」などを次々に発表し、夏目漱石(そうせき)らとともに文壇(ぶんだん)での地位を不動のものにしました。また、過去(かこ)の日本を題材に「阿部一族」「山椒大夫(さんしょうだゆう)」など歴史小説を残し、近代化へ突(つ)き進む国が失ったものを、作品を通して訴(うった)えました。

 1922年7月9日、60歳で永眠(えいみん)。遺骨(いこつ)は津和野の永明寺(ようめいじ)にも納(おさ)められ、墓石(ぼせき)には「森林太郎」と刻(きざ)まれています。上京後、二度と故郷(こきょう)の地を踏(ふ)むことはありませんでしたが、「余(よ)ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲(ほっ)ス」と遺言(ゆいごん)を残したように、鴎外の心の中にはいつも生誕(せいたん)地・津和野の原風景があったとされます。

2015年2月11日 無断転載禁止

こども新聞