(41)たどん 小さな「暖」今でも重宝

作業小屋の棚にびっしりと詰め込まれたたどん。風にさらして乾燥させる=出雲市高松町、丸ヨ商店工場
たどんの残り灰を払いながら掘りごたつの温度を上げる森山眞佐子さん(右)。木炭由来の燃料が今も中国山地の冬の暮らしに息づく=島根県飯南町頓原
 黒く丸められた手のひらサイズの固形燃料が11月下旬、出雲市高松町の丸ヨ商店工場で、今シーズンの出番に備えて整然と並んでいた。木炭の粉(粉炭)とでんぷんを混ぜてつくられた「たどん」。冬になると地元のみならず、北海道や北陸、関東、関西に、たどんという名の小さな「暖」が届けられる。

 たどんは江戸時代に、木炭を運搬するときに大量にたまったかけらや粉を手で丸めて固め、再利用したのが始まりとされる。

 島根は当時、木炭を燃料にして砂鉄を溶かし、鉄の塊を造るたたら製鉄が盛んだった。たたらのために木炭が生産され、暖房などの燃料としても重宝された。

 名残は数字が物語る。島根の2013年の粉炭生産量は2994トンで全国一。シェアは全国の約3割に達し、大半をたどんが占めるという。粉炭を含む木炭全般でも1950年以降、国内屈指の生産地であり続けた。近年の生産量は50年の20分の1程度に減ったが、活用する文化は暮らしの中に今も息づいている。

 島根県飯南町頓原に初雪が降った11月下旬、森山嘉道さん(77)宅の居間にある掘りごたつでも、たどんが赤く熱を発していた。朝と夜の2回、新しいたどんを入れる。「電気ごたつみたいにすぐに温かくはならないけれど、じわじわと心やすい温かさだね」と森山さん。一度入れれば部屋全体が温まり、エアコンは要らなくなるという。

 森山さん宅では、毎年5月終わりごろまでたどんを利用する。妻の眞佐子さん(73)は「思えば1年の半分以上、お世話になっています」と、慣れた手つきでたどんに灰をかぶせ、温度を調節した。

 島根が刻んできたたどんの歴史に丸ヨ商店が名を連ねたのは昭和の初め、「炭の生産なら東は岩手、西は島根」と評されていた頃。現社長の笛吹和章さん(74)の祖父で、創業者の与次兵衛さんが「同じ木炭業をやるなら盛んな場所で」と、創業地の福井を離れて移り住んだ。

 オイルショック前の最盛期には年間10万袋以上のたどんを出荷。今では1万2千~1万3千袋となったが、販路を広げるため、新たな企画を温めつつある。普通10キロ(55個程度)1袋で販売するところを、12~13個程度で500~600円の手頃な値段で販売。若い人に気軽に体験してもらおうとしている。

 「利用が減ったからといって辞めるわけにはいかん。最後まで残って頑張らんと」と笛吹さん。たたらの文化が育んだ全国一のたどん生産地の誇りは今も、じんわりと熱を保ち続けている。

2015年12月28日 無断転載禁止