映画監督 岡本 喜八(おかもときはち)(米子市生まれ)

撮影(さつえい)の指揮(しき)を執(と)る岡本喜八監督=喜八プロダクション提供(ていきょう)
職人(しょくにん)かたぎで温かい人柄(ひとがら)

 テンポよく楽しませる映画(えいが)や、太平洋戦争をテーマにした作品で知られる映画監督(かんとく)の岡本喜八(おかもときはち)(本名・喜八郎、1924―2005年)は、米子市で生まれました。

 県立米子商蚕(しょうさん)学校(現県立米子南高)から明治大専門(せんもん)部商科に進学。1943年、好きな映画の仕事がしたくて東宝(とうほう)に入社し、映画を作る責任(せきにん)者の監督を補佐(ほさ)する助(じょ)監督となりました。

 現在のおおむね高校にあたる旧制中学の同級生の半分が死亡(しぼう)する(自叙伝(じじょでん)の『あやうし鞍馬天狗(くらまてんぐ)』)など、多くの人がなくなるのを近くで見て戦争への大きな怒(いか)りを感じています。

 58年、監督に昇進(しょうしん)後、戦争の愚(おろ)かさを描(えが)いた5作目の「独立愚連隊(どくりつぐれんたい)」(59年)が高く評価(ひょうか)され、将来(しょうらい)を期待されました。

幻の映画「幻燈辻馬車」を題材に制作された日本画の大作「幻揺燈駆(げんようとうく)」に見入る、(左から)岡本喜八監督夫人の岡本みね子さん、作者の宮廻(みやさこ)正明さん、主演が決まっていた仲代達矢さん=2006年9月、安来市古川町、足立美術館
 それ以後、サラリーマンの日常(にちじょう)を喜劇(きげき)的に表現(ひょうげん)した「江分利満(えぶりまん)氏の優雅(ゆうが)な生活」(63年)や、終戦までの一日を再現(さいげん)した記録的大作「日本のいちばん長い日」(67年)など、話題作を次々に発表。40作目となる「幻燈辻馬車(げんとうつじばしゃ)」の台本を作って、地元米子での撮影準備(さつえいじゅんび)を進めていましたが体調を悪くしたため、かないませんでした。

 喜八映画には三船敏郎(みふねとしろう)、仲代達矢(なかだいたつや)、加山雄三(かやまゆうぞう)らスター俳優(はいゆう)を再三起用。「喜八ファミリー」と呼(よ)ばれ、円満な人柄(ひとがら)が慕(した)われました。97年には、米子市が創設(そうせつ)した初めての「市民栄光賞」を受賞しています。

 喜八監督と作品づくりは、夫人の岡本みね子さん(77)=神奈川県川崎市=が映画プロデューサーとして支(ささ)えました。

 足立美術館(あだちびじゅつかん)(安来市古川町)創設(そうせつ)者の足立全康(ぜんこう)(1899―1990年)と友人だった縁(えん)で、同館では毎週土曜日の午後、喜八監督が構成(こうせい)、演出(えんしゅつ)した短編(たんぺん)映画「全康さんの一日」と、主要作品を一本ずつ無料上映。魅力(みりょく)を広く伝えています。

 また米子では2007年、喜八監督をテーマにまちづくりを進める「喜八プロジェクト」を市民らが設立。生家のある商店街振興(しんこう)などに取り組んでいます。

 喜八監督と親交のあったライブ漫画(まんが)家の松村宏(まつむらひろし)さん(53)=米子市米原(よねはら)=は「ユーモアのある職人(しょくにん)かたぎの人で、だれかれなく人を温かく迎(むか)えてくれる方でした」と話しています。


2015年3月11日 無断転載禁止

こども新聞