歌舞伎の始祖 出雲阿国(いずものおくに)

吉兆館前に立っている出雲阿国のブロンズ像=出雲市大社町
京都(きょうと)で上演 喝采(かっさい)浴びる

 歌舞伎(かぶき)の元になる踊(おど)りを始めた女性(じょせい)とされる出雲阿国(いずものおくに)は、現在(げんざい)の出雲市大社(たいしゃ)町で生まれたと伝えられています。江戸(えど)時代に歌舞伎踊(おど)りを京都(きょうと)で上演(じょうえん)し、阿国の名前を都中(みやこじゅう)に広めました。

 阿国は出雲大社の鍛冶職人(かじしょくにん)の娘(むすめ)で、同大社の巫女(みこ)であったといわれています。本殿(ほんでん)の修理費(しゅうりひ)を調達するため、子どものころ、大人たちと一緒(いっしょ)に諸国巡(しょこくめぐ)りの旅に出ました。

 京都での踊りは、「ややこ(小さな子どものこと)踊り」と呼(よ)ばれ、かわいらしい仕草(しぐさ)が評判(ひょうばん)になりました。

 江戸(えど)に幕府(ばくふ)が開かれた1603(慶長(けいちょう)8)年、17歳(さい)くらいになった阿国は、京都の五条(ごじょう)の橋詰(づ)めや御所(ごしょ)、伏見城(ふしみじょう)などで、男の衣装(いしょう)を着て傾(かぶ)き者(もの)(変わった格好(かっこう)をして遊び歩く人のこと)の風俗(ふうぞく)を表現(ひょうげん)した「歌舞伎踊り」を披露(ひろう)。大喝采(かっさい)を浴び、「天下一(てんかいち)」ともてはやされました。

 晩年(ばんねん)は大社町に帰り、尼(あま)となって和歌やお経(きょう)を読んで、静かな生活を送ったといわれています。

「出雲阿国まつり」で華麗な踊りを披露する出演者=10月4日、出雲市大社町の大社文化プレイスうらら館
 現在、大社町には「出雲阿国の墓(はか)」、阿国が使ったといわれる数珠(じゅず)、手鏡などが残る安養寺(あんようじ)や、「終焉地之碑(しゅうえんちのひ)」「於國塔(おくにとう)」などの記念碑(ひ)が立ち、往時(おうじ)をしのばせています。

 このうち、於國塔は1936(昭和11)年、歌舞伎界の名門、中村、市川両家をはじめ、水谷八重子(みずたにやえこ)ら当時の名優(めいゆう)たちの寄付(きふ)によって建立(こんりゅう)されました。石柱(せきちゅう)に名前が刻(きざ)んである有名な芸能人(げいのうじん)55人のうち、ほとんどが自筆です。阿国が、後世(こうせい)の人たちからもどんなに尊敬(そんけい)され、慕(した)われていたのかが分かります。現在の塔は68(昭和43)年に再建(さいけん)したものです。

 2013(平成25)年には、大社町の吉兆館(きっちょうかん)前に、京都市の四条(しじょう)大橋に立つのと同じ塑像(そぞう)から作られた、双子(ふたご)の出雲阿国ブロンズ像が建立されました。塑像は、JR出雲市駅内に設置(せっち)してあります。

 阿国の業績(ぎょうせき)をたたえ、阿国文化を継承発展(けいしょうはってん)させるため、出雲市民ら約300人で「出雲阿国顕彰(けんしょう)会」(入江紀久男(いりえきくお)会長)をつくっています。顕彰会は、昨年11月に第1回阿国まつりを開催(かいさい)。今年は10月4日に開きました。

 また、10月7日には、実行委が「出雲フェスティバル」を開催し、歌舞伎役者の市川海老蔵(えびぞう)さんが出雲大社で奉納舞踊(ほうのうぶよう)公演を行うなど、阿国が残した文化を全国に発信しています。

 阿国は、史料が少ないなどのために生没年(せいぼつねん)など、実像がよく分かっていません。

 出雲阿国顕彰会副会長の郷土史家(きょうどしか)・山崎裕二(やまざきゆうじ)さん(67)は「むかしのどの本を見ても『出雲』とあるので、出雲阿国が出雲出身であることは間違(まちが)いない」と話しています。 

2015年10月14日 無断転載禁止

こども新聞