「碁聖」とたたえられた棋士 本因坊 道策(ほんいんぼうどうさく)(大田市生まれ)

本因坊道策の肖像(しょうぞう)
強さと人徳(じんとく)兼(か)ね備(そな)える

 「碁聖(ごせい)」とたたえられる江戸(えど)時代の棋士(きし)・本因坊道策(ほんいんぼうどうさく)(1645~1702年)は大田(おおだ)市仁摩(にま)町に生まれました。囲碁の実力だけでなく人徳(じんとく)があり、囲碁の隆盛(りゅうせい)に尽(つ)くしました。

 道策は7歳(さい)で囲碁を始めました。悪い碁を打った時には母に井戸(いど)に連れていかれ、冷水をかけられたと言われています。

 その後、囲碁の四大家元の一つ「本因坊家」に入門しました。天与(てんよ)の才に恵(めぐ)まれて上達が早かったといいます。

 あまりにも碁が強く、十三段(だん)の実力があったとされます。当時は「名人」(九段)が最高位で、「人間の到達(とうたつ)し得(う)る究極(きゅうきょく)の段位」と言われており、道策の強さがうかがえます。33歳で第四世(せい)本因坊に就任(しゅうにん)するとともに「名人・碁所(ごどころ)」に推挙(すいきょ)されました。碁所は棋士最高の地位とされています。

 合理的な打ち方を用いて近代囲碁の基礎(きそ)を確立(かくりつ)した道策は、人徳者としても知られており、生存(せいぞん)中から「碁聖道策」と称(しょう)されていました。

囲碁を学ぶ児童たち=大田市仁摩町仁万、仁摩小
 また、歌聖(かせい)の柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)、画聖(がせい)の雪舟(せっしゅう)とともに「石見(いわみ)の三聖(さんせい)」と呼(よ)ばれています。1702年に58歳で亡(な)くなりました。優秀(ゆうしゅう)な門弟を多く育てるなど多くの業績(ぎょうせき)があります。

 この道策を顕彰(けんしょう)し、囲碁の普及(ふきゅう)を目指す「囲碁学習」に大田市仁摩町仁万(にま)の仁摩小学校が取り組んでいます。

 囲碁学習は、同町が道策の生誕(せいたん)地であることを生かした取り組みで、同校と市、市内の囲碁愛好家らでつくる「顕彰する会」などが連携(れんけい)し、昨年スタートしました。

 子どもたちは学習を通じて道策の偉業(いぎょう)を学んでおり、今秋には、日本棋院のプロ棋士が直接指導(ちょくせつしどう)する実技授業(じつぎじゅぎょう)が行われ、4~6年生約90人が戦局を読む打ち方を教わりました。

 児童たちは序盤(じょばん)から終盤(しゅうばん)までの戦略(せんりゃく)や打ち方などの指導を受けた後、お互(たが)いに対局しました。新しい戦い方にも挑戦(ちょうせん)する意欲(いよく)的な児童たちの姿(すがた)が見られました。

 大田市教育委員会社会教育課の川島親史(かわしまちかし)課長は「学習を通して郷土(きょうど)への愛着を深め、地域(ちいき)への誇(ほこ)りを持ってほしい」と期待しています。 


2015年11月18日 無断転載禁止

こども新聞