(42)足立美術館 始まりは木炭の輸送

周辺の山容を借景に取り込んだ足立美術館の主庭。四季折々に姿を変えるかつての薪炭林が庭園に彩りを添える=安来市古川町
 横山大観をはじめとする近代日本画と日本庭園で知られる足立美術館(安来市古川町)は、米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が企画する日本庭園ランキングで、13年連続1位に選ばれている。

 日本一の庭造りを目指したのが、創設者の故足立全康さん。その思いが花開いた中で、全康さんの実業家人生の出発点が木炭運びで、太平洋戦争中にはたたら製鉄で造られた鋼で日本刀を作る会社を経営していた逸話を知る人は少ない。

 「雨が降ろうが、雪が降ろうが、広瀬から安来まで大八車で木炭を運ぶのは大変だった、という肉声をよく覚えている。これが商売の原点となった」。全康さんの孫の足立隆則館長(68)が語る。

 安来市古川町の農家に生まれた全康さんは1914年、15歳の時から家業を助けるため木炭を運ぶ賃仕事を手掛けた。運搬しながら炭の小売りを思いつき、2倍の収入を稼いだ。帰りには赤貝を持ち帰って売り歩き、もうけを増やして商魂が目覚めた。当時はまだ出雲でたたら製鉄が稼働していた時代。原料の炭も多く焼かれていた。

 さらに戦中の43年、時代のニーズを見据えて知人と安来市広瀬町広瀬に株式会社出雲刀剣を創立。軍刀を作り陸軍に納めた。市原たたら(安来市広瀬町西比田)や樋廻(ひのさこ)たたら(同町布部)でできた鋼を用いたとされる。会社創設時の記念写真に、陸軍軍人や刀鍛冶とともに帽子をかぶった全康さんが写っている。

 「必要な原材料と刀鍛冶の技がそろっていたからこそ日本刀ができた。戦争という不幸な事態だったが当時、出雲は国内で作刀の重要な役割を担った」と、安来市教育委員会文化課文化振興係の高岩俊文主事(37)が位置づける。高岩さんの祖父・高岩幸吉さんは日本刀の研師。東京から出雲刀剣に招かれ、事務員だった広瀬出身の菊枝さんと結婚している。

 終戦に伴い軍刀作りは終わりを告げた。全康さんは戦後、横山大観の絵に出合い、感動して作品を収集。1970年、71歳で足立美術館の開館にこぎ着けた。

 大山山麓や皆生の浜などの候補地から、最終的に先祖が眠り、自らの生家がある現在地を選んだ。

 同館の主庭である枯れ山水庭の美しさには秘けつがある。借景を構成する山々が全康さんが大八車を引いた当時と同じ、炭焼き用の落葉樹のままだ。春に山桜が咲き、深緑から紅葉へと移り変わる。過去から現在、未来へと四季折々の変化が庭園に彩りを添え続ける。

2016年1月11日 無断転載禁止