(43)鉄師の社会貢献 私財投じて小学校開設

人材育成にかけた田部家の情熱を物語る旧吉田小学校の講堂。今も生涯学習交流館として住民に利用されている=雲南市吉田町吉田
町生涯学習交流館に掲げられた田部家第21代当主・田部長右衛門長秋の肖像画。大扉には第23代当主・長右衛門朋之がデザインした鳳凰(ほうおう)の浮き彫りも残る=雲南市吉田町吉田
 吉田町生涯学習交流館(雲南市吉田町吉田)に、一枚の肖像画が大切に伝わる。描かれたのは江戸時代、松江藩の鉄師を務めた田部家第21代当主・田部長右衛門長秋。目に力があり、意志の強さを感じさせる。

 絵筆を執ったのは、父が吉田町出身で、東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業し活躍した洋画家・草光信成。大作の肖像画が掛かる交流館は、田部家が時代の荒波と地域の将来を見据え、人材育成にかけた情熱を物語る。

 廃藩置県により基礎を固めた明治新政府は1872(明治5)年、学制をつくり、全国の町村へ小学校の設置を決めた。しかし建設費や教員給料は地元負担で建設が進みにくかった。教育の大切さを思った長秋は74年、私財を投じ私立田部小学校を開設。寺を校舎に充て、田部家の手代や神職らが教師を務めた。当初67人の子どもが算術や習字などを学び、学校は公立になるまで10年間続いた。

 さらに日中戦争が起きた1937年、旧吉田小学校が新築された際、長秋の子で第22代当主・田部長右衛門茂秋が土地を寄付した上、自らの山林から良い木材を切り出して校舎を建てた。後に校舎は焼失したものの、講堂は被害を受けず現在、生涯学習交流館として生かされている。

 「通っていたころ、講堂に長秋さんの肖像画があった。教育に熱心だったという逸話をお年寄りから聞いた」。旧吉田小の卒業生で雲南市吉田交流センター長を務める藤原文雄さん(69)がこう証言する。

 一方、松江藩の鉄師を務めた雲南市大東町下久野の石原市左衛門は1870(明治3)年、暮らしに困った人々を収容する飯田貧院を同町飯田に設けている。前年が凶作で、施設に60~100人を収容し食事を提供した。社会復帰の資金とするよう、わらじづくりなどを指導。医師の陶山信庵も治療代や薬代を無料で奉仕し、たたらで得た収益を注いだ貧院は4年間続けられた。

 江戸から明治へと社会が大転換する中、出雲の鉄師たちも苦悩した。鉄価格の下落と米価の上昇に伴い幕末、田部家は松江藩から多額の借金をしている。たたら製鉄を研究する松江工業高等専門学校の鳥谷智文教授(47)は「経営が苦しい中で社会貢献した事実は特筆される」と注目する。

 田部、石原両家に限らず、鉄師は凶作になると銭や米を供出した。地域が危機に陥ったときは、財産を進んで投じるリーダーとしての誇りと自覚をほうふつさせる。

2016年1月18日 無断転載禁止