(73)松崎の碑(益田)

連理松があった場所に立つ松崎の碑
 人麿しのぶ社殿を伝承

 益田市高津5丁目の国道9号益田道路の近くに「松崎の碑」が静かにたたずむ。同市ゆかりの万葉歌人・柿本人麻呂(人麿)にまつわる地区名の由来や、人麿をまつる社殿がこの地にあったことを後世に残そうと、幕末に建てられた自然石の碑は、風雪に耐え、存在感を示している。

 人麿は724(神亀元)年に、高津の沖合にあった鴨島で没し、人麿が作った自身の木像を安置するほこらが鴨島に建てられたと伝わる。

 1026(万寿3)年の地震による大津波で鴨島は水没したが、木像はほこらの傍らにあった二股の松の大木に乗って、この地に漂着したという。松の霊力により佐(たす)け起こされたという意味から、この地は「松佐起(松崎)」と呼ばれるようになった。

 地区民は人麿の神徳をしのび、松崎に社殿を建て、1681(延宝9)年に社殿が現在の益田市高津町に移されるまでの約600年間、守ってきた。

 移転後に、由緒ある土地の記憶が薄れていくことを案じた津和野藩8代藩主・亀井矩賢(のりかた)が、藩士河田孫兵衛に命じて、京都の公卿(くぎょう)で歌人としても知られた正二位芝山卿藤原持豊(芝山持豊)に碑文の文章を作るよう依頼し、1814(文化11)年に碑が造立された。このため、松崎の碑文は別名「芝山卿碑文」とも呼ばれるという。

 碑は、国道9号益田道路の建設に伴い2003年3月、当時の建立地から約300メートル西にある「高津連理の松」の跡地に移転した。

 以前からの様子を知る中谷健祐さん(93)=益田市高津4丁目=は「昔から地元で大切にされてきた。この辺りに、元の侵攻を防ぐための土塁が築かれたと子どものころに教わり、授業で瓦を掘ったことがある。昔は海岸が広かったのだろう」と伝説に思いをはせた。

2016年2月4日 無断転載禁止