(46)継承された技 廃絶の荒波越え脈打つ

大正から昭和期の奥出雲製鉄史を伝える日立金属安来製作所鳥上木炭銑工場の角炉(左側)。手前のれんが造りが1号炉、奥の鉄板造りが2号炉=島根県奥出雲町大呂
焦げ茶色の鋼板葺(ぶ)き建屋が山里の風景に溶け込む日立金属安来製作所鳥上木炭銑工場=島根県奥出雲町大呂
 島根県奥出雲町大呂の日立金属安来製作所鳥上木炭銑工場には、2基の角型溶鉱炉(角炉)が大切に保存されている。1934(昭和9)年と51(同26)年に築かれ、いずれも国の登録有形文化財。操業できる状態で伝わる。

 江戸末期、最盛期を誇ったたたら製鉄は、外国産の安い洋鉄におされ、鉄価格の暴落などにより大正期に炎が消えた。

 だが、鳥上の地では18(大正7)年、砂鉄と木炭を原料に銑鉄を造るたたらと、洋式製鉄を組み合わせた角炉の技術を導入。たたらは操業ごとに炉を壊すのに対し、耐火れんがを用いた角炉は連続操業が可能となった。

 さらに日本が大陸に勢力を伸ばし戦火が広がった昭和期に、軍刀の需要が高揚。良質な砂鉄に恵まれた鳥上では33(昭和8)年、同工場の隣接地に靖国たたらが築かれ、盛んに鋼が造られた。

 「戦争という不幸な時代状況の中でも、先人たちが創意工夫の努力を重ね続けたからこそ、たたら製鉄と日本刀を作る技が今に伝わった」。安来市教育委員会文化振興係主事で和鋼博物館学芸員の高岩俊文さん(37)が説く。

 靖国たたらで注目されるのは安部由蔵村下(むらげ)(技師長、故人)の存在だ。安部さんは地元奥出雲町竹崎出身。松江藩の鉄師を務めた卜蔵家の原たたらで13歳から働いた経験を生かした。靖国では軍刀に限らず軍艦などに向けた大量の鉄を不眠で造った逸話が残る。

 靖国たたらでの操業は終戦に伴い45年に終了。たたらは2度目の終止符を打ったが、安部さんが健在だったことが、77年の日刀保たたら復活につながる。

 「おやじがいなければ、復元は不可能だった」と語るのは安部さんの娘婿で、日刀保たたらで村下を担う渡部勝彦さん(77)。日刀保たたらは日本刀を伝え、原料の玉鋼を造るため日本美術刀剣保存協会が靖国たたらの場所に、その地下構造を利用して設けた。

 しかし、安部さんは当初気乗りがしなかった。もう一度、たたらをやりたい半面、技に自信が持てなかった。靖国から日刀保までのブランク期間は32年と、原たたらから靖国までの約3倍におよんでいた。それでも76歳だった安部さんは周囲の要請に応え、弟子の久村歓治さん(故人)と挑戦。試験操業の失敗を経て、本操業を成功させ「これでいつ死んでもいい」と漏らした。

 たたらの技は安部さんと久村さんから日刀保の木原明村下(80)と渡部村下に引き継がれ、後継者が育っている。その炎は2度にわたる廃絶の荒波を越え、鳥上の地はたたら製鉄のまほろばであり続ける。

2016年2月8日 無断転載禁止