映画プロデューサーのささやかな日常(35)

水木先生のお別れの会に8千人もの人が集まった
 水木しげる先生お別れの会

   またいつかお会いしましょう


 『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』など数々の名作漫画を生み出し、昨年11月に93歳で亡くなられた漫画家・水木しげる先生のお別れの会が、1月31日に東京の青山葬儀所で営まれました。水木先生の弟子である作家の荒俣宏先生と京極夏彦先生らが発起人を務められ、関係者が集まる第1部と一般弔問者の献花の2部制でした。過日この連載でも触れましたが、僕は2007年と08年公開の実写映画版『ゲゲゲの鬼太郎』のプロデューサーとして、水木先生には本当にお世話になりました。調布にある水木プロダクションに打ち合わせでお伺いする中で、水木先生と初めてお話させていただいた日の事は一生忘れられない思い出です。

 お別れの会には鬼太郎を演じたウエンツ瑛士くんや、共にアイデアを出し合い、苦闘しながら映画を製作した当時のスタッフたちと一緒に向かいました。ウエンツ君も、あの時は少年の面差しの残る22歳でしたが、いまや30歳の精悍(せいかん)な大人の男になり、月日の流れを感じます。

 会場に入ると、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』のテーマ曲が流れ、正面の祭壇には満面の笑みの水木先生の遺影。白菊、ユリなどの花で飾られた圧倒的な存在感の祭壇は、あの世とこの世をつなぐ丸い輪、故郷・境港の海と水木さんが愛したジャングルをイメージして京極先生がデザインされたそうです。

 会はしめやかに粛々と行われ…るわけはなく(笑)、参列者の水木先生への愛情とユーモアあふれる思い出話で会場は笑いと温かさに包まれていました。荒俣先生曰(いわ)く、水木先生の人生を大きく変えたのはやはり戦争で、左腕を失った事だったと常々おっしゃっていたそうです。しかし、その事実をあくまで楽観的に受け入れ、自然体で生きようとされた…。「ゲゲゲの女房」としてご自身の人生もドラマ化された妻の布枝さんは、水木先生について、「生前『100歳まで生きる』と言っていたのに」と本当に寂しそうに語られました。

 献花会場と別の会場では「一反木綿のイカ寿司(ずし)」「目玉おやじの軍艦巻」「ぬりかべのサンドイッチ」など愛情あふれる料理の数々で参列者をおもてなし。これは「お別れの会」などではなく、「水木先生からわれわれへの感謝祭」なのではないかと、お祭り好きだった水木先生の意思を再現されたスタッフの心意気に感動し、いまさらながら先生には、もう二度とお会いできない悲しさがこみ上げてきました。

 当日は朝早くから多くの人が会場前に列をなし、延べ8千人が参列されたとのことです。いかに先生が関係者そしてファンの方々に愛されたか…。あらためて水木先生の偉業に敬意を払うと同時に、真に人間らしく生きることを教えていただいたことに感謝し、これからもずっと、何度も水木先生の作品を読み返していこうと思った日でした。

 (松竹映像本部 映画プロデューサー・石塚慶生、米子市出身)

2016年2月12日 無断転載禁止