(48)三条刃物 切れ味支える「安来鋼」

ヤスキハガネが鍛接された鉄をたたきながら、手際よく包丁を成形していく日野浦司さん。たたら製鉄にルーツをたどる高級特殊鋼が三条刃物の職人技に生きる=新潟県三条市塚野目1丁目、日野浦刃物工房
のみの刃にコの字形に巻き込まれたヤスキハガネ=新潟県三条市塚野目4丁目、鑿(のみ)鍛冶田齋
 ガス炉で真っ赤になるまで熱した鉄の塊をスプリングハンマーでたたくと、焼けた鉄片が薄暗い作業場に飛び散った。新潟県三条市の住宅街にある工房で、伝統工芸士の日野浦司さん(59)が、同じ作業を2度、3度と繰り返す。三条刃物の生命線とも言える「火造り」の作業だ。

 刃物の胴体部分に軟らかい鉄を使い、刃の部分に鋼をかぶせるように接ぐ。軟鉄が折れにくい強度を生み、硬い鋼が切れ味を与える。用いる鋼は日立金属安来工場(安来市飯島町)の高級特殊鋼・ヤスキハガネ。「ヤスキハガネを使っていることが三条刃物のブランド」。雲南市でたたらを体験した日野浦さんは、材料への尊敬を込めて、最も得意とするなたに屋号の「味方屋」とともに「安来鋼」と銘を刻む。

 三条は、信濃川の水運に恵まれ、近くに砥石(といし)の産地を抱え、古くから金属加工が育った。特に大工道具や山仕事の道具は評価が高く、和くぎ、かんな、なた、包丁、まさかり、ヤットコ、切出小刀、鎌、木ばさみ、のみの10種類で国が認める伝統工芸士がいる。隣接する燕市とともに、金属加工業の集積は全国でも屈指の存在だ。

 三条とたたら製鉄の盛んだった山陰との関係は、日本海の水運が発達した江戸時代以降深まった。新潟県史などによると、幕末の1862年に新潟県出雲崎町の問屋・多助が記した文書には、松江の慶助、猪目浦の平七ら松江藩内の7軒の問屋から鋼や鉄を購入し、三条の問屋・弥助らに卸したことが記されている。

 取引の記録は数多い。雲南市吉田町の鉄師・田部家が大量に北陸に移出。さらに明治中期には、大田市鳥井町の石田家が経営した百済たたらの生産量の半分が北陸以北に送られた記録も残る。松江工業高等専門学校の鳥谷智文教授は「江戸末期から明治初期は鉄需要が全国で高まった時期で、相当の量が北陸や新潟に運ばれ、鉄の加工業を支えた」と話す。

 その後もたたらを受け継いで安来市に設立された雲伯製鋼や、その流れをくむ日立金属安来工場が刃物に適した鋼を供給し続けた。

 最近は、三条の刃物も、大工の減少や林業の衰退で国内販売は苦戦するが、海外で人気が高まっている。伝統工芸士で、のみ鍛冶の田齋明夫さん(76)の元には、息子と2人の手仕事では製造が追いつかないほどの注文が海外から届く。「ヤスキハガネは一度研いだら切れ味がとまらない」と、品質にほれ込む。

 海外の刃物展示会を何度も見てきた日野浦さんも「日本の刃物は世界一。それを支えるのがヤスキハガネ。これからも作り続けてほしい」と願う。

 山陰から遠く離れた刃物の町には今も、たたらの時代からから受け継がれてきたブランドと信頼がしっかりと根付いていた。

2016年2月29日 無断転載禁止