(75)鍵通り(浜田)

鍵形に曲がる今市地区の通り
本陣置かれた要所象徴?

 浜田市旭町の今市地区には江戸時代、山陰と山陽を結ぶ浜田広島街道があり、大名行列の際に藩主が休憩する今市本陣が置かれていた。近くには今も、直角に曲がる「鍵通り」が残っており、地域の歴史を伝えている。

 旧旭町教育委員会が作製し、本陣跡に設置されている案内看板によると、今市地区にもともと町並みはなく、後に本陣を勤めた大屋氏が1570~73年ごろに移り住んだことをきっかけに形成された。大名行列のルートとなって本陣が置かれ、今市の町は浜田広島街道とともに発展した。

 浜田藩主の参勤交代は、浜田城を出発して今市本陣で休憩を取った後、市木(現邑南町)や本地(現広島県北広島町)で宿泊。広島まで3日かかり、約970キロ離れた江戸までは約1カ月かけて移動していたとされる。市文化振興課の担当者は「浜田や江津、広島などにアクセスできる今市は、中山間地における交通の要所であったことは間違いない」と説明する。

 本陣跡周辺の町並みの通りは、鍵形になっているのが特徴。浜田市側から県道を横道に入って歩を進めると、横町、竪町、坂町と呼ばれる3本の通りがほぼ直角につながっていく。

 鍵形の通りは本陣を外敵から守るため、という説がある。枡(ます)形とも呼ばれ、敵が一気に攻め込みにくく、敵を追い詰めやすくするよう、通りを直角に曲げたとされるが、今市本陣の通りが同様の目的でつくられたことを裏付ける歴史資料は残っていないという。同じく本陣が置かれていた市木や本地でも、同じように鍵通りを見ることができる。

2016年3月10日 無断転載禁止