佐藤造機を創設 佐藤忠次郎(さとうちゅうじろう)(松江市生まれ)

佐藤造機(現在の三菱マヒンドラ農機)を創設した佐藤忠次郎=同農機提供(ていきょう)
農業機械の発明王

 農機具製造(のうきぐせいぞう)の佐藤造機(さとうぞうき)(現三菱(げんみつびし)マヒンドラ農機、松江(まつえ)市東出雲(ひがしいずも)町揖屋(いや))を創設(そうせつ)した佐藤忠次郎(ちゅうじろう)(1887~1944年)は、同町出雲郷(あだかえ)に生まれました。「農業機械の発明王」として知られ、会社を日本有数の農機具メーカーに育てました。

 忠次郎が12歳(さい)の時、父親が目の病気で働けなくなったので、忠次郎は一家の生活を見るため、進学した高等小学校を辞(や)めて農業の手伝いをして収入(しゅうにゅう)を得るようになりました。14歳の時からは近くの銅山(どうざん)で作業員として働き、家に帰ると農業に汗(あせ)を流しました。

佐藤忠次郎が考案し、保存(ほぞん)、展示されている「サトー式稲麦こぎ機」=松江市東出雲町揖屋、三菱マヒンドラ農機敷地内の同氏記念館
 当時、稲穂(いなほ)を落とす作業は千歯(せんば)という道具を使っていましたが、力が必要で、時間もかかることから「一度にたくさんの稲穂をしごくことはできないか」と、鍛冶屋(かじや)の仕事も習って農機具作りに没頭(ぼっとう)しました。

 忠次郎はたまたま、田んぼ道で転んだ自転車の車輪が、回転しながら稲穂をパラパラと飛ばすのを目撃(もくげき)。これがヒントになって、農機具の研究を始めてから7年後の1914(大正(たいしょう)3)年、27歳の時に「回転式稲麦こぎ機」を発明し、製作(せいさく)を始めました。

 同年、佐藤造機の前身の「サトー商会」を設立(せつりつ)して「サトー式稲麦こぎ機」を全国に広めていきました。その後も発動機というエンジンで動かすさまざまな農機具を考案します。

三菱マヒンドラ農機の小公園に立つ佐藤忠次郎の銅像=松江市東出雲町揖屋
 忠次郎は大工場を経営(けいえい)しながら34(昭和(しょうわ)9)年、揖屋村長に就任(しゅうにん)し(翌(よく)年からは町制実施(ちょうせいじっし)によって町長)亡(な)くなるまでの10年間務(つと)め、郷土(きょうど)の発展(はってん)に大きな足跡(そくせき)を残します。44(同19)年、急死したため町葬(ちょうそう)を行って、町民らが人柄(ひとがら)と業績(ぎょうせき)を惜(お)しみました。

 遺徳(いとく)を慕(した)う人たちが忠次郎の銅像(どうぞう)を造(つく)り60(同35)年、佐藤造機本社内の小公園に建立(こんりゅう)。また、本社敷地(しきち)内で忠次郎が暮(く)らしていた家を97(平成9)年、記念館としてオープンさせました。忠次郎が考案した農機具などが展示(てんじ)してあり、予約すれば見学できます。

 今年の4月17日には、忠次郎が31(昭和6)年に作った「焼き玉」と呼(よ)ばれるエンジンが、85年ぶりに当時の製造工場に里帰りして、本社駐車場(ちゅうしゃじょう)で展示運転されます。

 同社の山中正雄総務(やまなかまさおそうむ)部長(55)は「忠次郎は失敗を繰(く)り返しながら、いろいろな人の協力を受けて農機具を作った。苦労してトップに立った人」と話しています。


2016年3月23日 無断転載禁止

こども新聞