暫定2車線の弊害 第1部 危険性(5)重なる悲劇

長男誠さんの遺影に手を合わせる木色一男さん。不条理な事故がなくなる日を願う=雲南市木次町木次の自宅
進まぬ対策 遺族に憤り

 「マコ。今日も一日家族みんなを守ってくれよ」

 雲南市木次町木次の団体職員木色一男さん(50)は毎朝、仏壇の遺影に手を合わせて職場へ向かう。視線の先では、18歳で亡くなった長男誠さんがバレーボールのユニホーム姿でほほ笑んでいる。

 別れは突然だった。2011年7月10日午後5時50分。松江北高校通信制3年で鍼灸師(しんきゅうし)を目指していた誠さんが、夢をかなえるため、香川県宇多津町にある医療専門学校のオープンキャンパスに一家4人で訪れた日の帰り道だった。

 乗用車に乗っていたのは一男さんと妻の佳織さん(48)、誠さん、長女(22)。岡山県真庭市樫西の中国横断自動車道岡山米子線(米子道)の暫定2車線(片側1車線)を走っていた時だった。

 同県倉敷市内の20代男性会社員のスポーツカーが、片側2車線から同1車線になる直前に猛スピードで追い越しを図り、左路肩に接触。右にハンドルを切った後は制御不能になった。時速125~135キロで樹脂製の簡易ポールが並ぶ中央線を越え、約70キロで走行していた木色さん一家の車に正面衝突した。

 助手席で誠さんの声が聞こえた。

 「お父さん(体を)起こして」

 誠さんが発した最後の言葉となった。一男さんと長女は重傷、妻は意識不明の重体。長男の死を知らされ、一男さんは術後のベッドで絶望した。妻が奇跡的に意識を取り戻した2カ月後、真実を伝え、家族全員で肩を抱き合って泣いた。


悔やみきれぬ思い

 「あまりにも理不尽すぎる。お願いですから、誠を返してください」。一男さんは、11年10月に始まった公判で被害者参加制度を使い、法廷で長男の無念を代弁した。被告は自動車運転過失致死傷の罪で懲役4年の実刑判決を受けた。

 ただ、悲しみは決して癒えない。優しい笑顔、外出時に家族に手を振るしぐさ…。街中でうり二つの青年を見かけて声を掛けたこともあった。面影を追想し「代わってやりたかった」と自責の念に駆られる日々。帰ってくることができるようにと、誠さんの部屋や洗濯物は当時のままにしてある。

 事故現場周辺の暫定2車線区間は当時4キロで、制限速度の70キロで走行すれば数分で通過できる。皮肉にも事故から5カ月後に工事が完了し、中央分離帯を設けた4車線になった。悔やみきれない思いを抱えながら、命日には夫婦で現場に花を手向ける。


何人犠牲になれば

 事故から約4年半。20人が死傷した2015年3月の中国横断自動車道広島浜田線(浜田道)の事故をはじめ、はみ出し事故は後を絶たないにもかかわらず、抜本的な対策は一向に進んでいない。

 「なぜ最初から中央分離帯を設けた4車線で整備しないのか。一体、何人が犠牲になれば国は動くのか。命を守る道路になっていない」。突き詰めればこの思いに帰結する。

 幸せな日常を一瞬で奪う悲劇は依然、繰り返される。「マコのおかげで安全な道路ができたよ」。仏前に報告できる日が来るのを切に願っている。

  =第1部おわり=

2016年2月13日 無断転載禁止