論語(ろんご)で温故知新(おんこちしん)(39)


【訳(やく)】

 自分自身のことを振(ふ)り返ってみて、後ろめたいところがなかったら、何を心配したり、クヨクヨ・ビクビクすることがあろうか。堂々としていればよいのだ。


恥(は)じるところがなければ心配いらない

 孔子(こうし)は一つのことについて話す時、相手によって違(ちが)うことを言いました。ある時、心配性(しょう)で臆病(おくびょう)な性格(せいかく)の弟子(でし)(司馬牛(しばぎゅう))が「君子(くんし)とはどんな人でしょう?」と聞きました。その問いに答えたものです。


 ◆恥(は)じること◆

 「疚(やま)しからざれば」とは、「恥じるところがない」という意味です。人にウソをついてだませても、自分にウソをついたり、だましたりすることはできません。だから、たいていの人はごまかしに悩(なや)むのです。それでも、「恥じる心」があるうちはまだ救われます。なぜなら、反省して、同じまちがいはしないという心の動きがでるからです。

 「済(す)んだことをいつまでもクヨクヨして前に進もうとしない」「まだ起こってもいないことを心配してビクビクしている」。こんなことはおそらく、誰(だれ)にでもおぼえがあることでしょう。しかし、これが極端(きょくたん)になると自分だけでなく、まわりも困(こま)ります。


 ◆前を向く心◆

 私たちは生きている限(かぎ)りどんな人でも、心配や不安を持って生きています。これはストレスともいいます。ストレスなどなければ良いのにと思うかもしれません。しかし、ストレスがゼロになれば、人間も動物も死んでしまうそうです。

 どうしてでしょうか? それは心と体の緊張(きんちょう)がなくなって、何も考えなくなるからです。そして、ただ息をしているだけというのは耐(た)えられません。

 大きなストレスに、心が内向き(逃(に)げようとする心)になって、押(お)しつぶされそうになるのもたまりません。しかし、自分の心が立ち向かっている時には、ストレスを跳(は)ね返す力があります。それどころか、ストレスをバネとして、さらに飛躍(ひやく)する人もいます。この違いを論語(ろんご)は述(の)べているのだと思います。

  (私塾(しじゅく)「尚風館(しょうふうかん)」講師(こうし)・小倉雅介(おぐらまさすけ))

2016年4月27日 無断転載禁止

こども新聞