初代安来節家元 渡部(わたなべ) お糸(いと)(安来市生まれ)

安来節の全国への普及に大きな役割を果たした初代家元の「渡部お糸」
全国普及(ふきゅう)に多大な功績(こうせき)

 島根県を代表する民謡(みんよう)「安来節(やすぎぶし)」。大正中期から昭和初年にかけて全国に広まりましたが、大きな役割(やくわり)を果たしたのが安来節家元(いえもと)の初代「渡部(わたなべ)お糸(いと)」(1876~1954年)でした。

 安来節は、江戸(えど)時代の終わりごろに原型が歌われていたという歴史ある郷土(きょうど)民謡。出雲(いずも)地方の名所や風光の美しさ、人情(にんじょう)の豊(ゆた)かさを盛(も)り込(こ)んだ歌詞(かし)と独特(どくとく)の節回しで知られます。

 当時の安来は山陰(さんいん)地方の海陸交通の要所で、安来港からは鉄と米を積み出しました。全国の港を通した人の交流で、安来の町は賑(にぎ)わいます。

 お糸は、安来市内の小料理屋の家に生まれ、文楽(ぶんらく)や義太夫(ぎだゆう)好きで三味(しゃみ)線が上手(じょうず)な父親と、歌好きの母親や幼少(ようしょう)のころから働いていた職場(しょくば)の先輩(せんぱい)らの影響(えいきょう)を受けて安来節を習い覚えました。

初代「渡部お糸」の功績をたたえて開かれている「お糸まつり」=2012年4月、安来市安来町の安来公園
 明治時代の終わりごろ、当時の文部省の役人と近代日本画壇(がだん)を代表する横山大観(たいかん)が相次いで安来を訪(おとず)れた際(さい)に、お糸が安来節を披露(ひろう)すると歌のうまさに驚(おどろ)いて、ともに郷土芸能(きょうどげいのう)としての安来節の保存(ほぞん)を勧(すす)められます。

 有力者らの後押(あとお)しを受けて明治44(1911)年、安来節保存会が創設(そうせつ)されました。これ以降(いこう)、安来節の保存と振興(しんこう)の運動に乗り出します。

 大正5(1916)年、お糸は全国俚謡(りよう)(民謡のこと)名人大会で首席入賞(しゅせきにゅうしょう)。当時、民謡としては珍(めずら)しいレコードが全国発売され、よく売れました。これらによって、安来節が全国に流行、普及(ふきゅう)していくことになります。

 また同年、東京音楽学校(現(げん)東京芸術(げいじゅつ)大学音楽学部)で公演(こうえん)。同8(1919)年には、大阪(おおさか)の吉本興業(よしもとこうぎょう)でも地元出身者による安来節の公演をして大成功を収(おさ)めます。これらによって、名声を博(はく)したことからお糸は全国巡業(じゅんぎょう)を始め、正月しか地元に帰れないというほど活躍(かつやく)しました。

 お糸は昭和23(1948)年に、島根県知事から第一回文化功労者表彰(ひょうしょう)を受けます。また同24(1949)年には、戦後初めての安来節優勝(ゆうしょう)大会が開かれます。

 保存会はお糸の功績(こうせき)をたたえて、亡(な)くなった翌(よく)年の同30(1955)年にお糸まつりを創設(そうせつ)。毎年、桜(さくら)の季節にまつりを開いています。お糸の顕彰碑(けんしょうひ)も建立(こんりゅう)され、平成元(1989)年には安来市の名誉(めいよ)市民に選ばれました。

 安来節家元は同3(1991)年に4代目を襲名(しゅうめい)しました。

2016年6月15日 無断転載禁止

こども新聞