女子ログ カップ焼きそばの悲劇

 日々の暮らしにはさまざまな悲劇がひそんでいる。「煮物の中に砂糖と間違えて塩を思いきり入れた」「買ったばかりの靴下からタグを外そうとしてハサミを使ったら大穴が開いた」などなど。

 しかし、私は断言する。日常で最大の悲劇は「カップ焼きそばの湯切りをしようとして麺(めん)を流しに全部こぼした」、これに尽きる。カップ焼きそば愛好家ならうなずけると思う。もちろん私も、一度ならず経験している。すきっ腹を抱え、湯をわかしてカップに注ぎ、今か今かと待ち構え、はやる心でいざ湯切り。で、「ああーっ!(やっちまった)」。

 もしもかの方丈記を著した鴨長明の時代にカップ焼きそばが存在したなら、冒頭にはきっとこう記されていたはずだ。「行く麺の流れは絶えずして、しかも、もとの麺にあらず。台所の流しに浮かぶカップ焼きそばは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、欲と哀と、またかくのごとし」

 無常観の教えである。大げさでなく、それくらいの悲劇なのである。―などと年下の友人に話したら「僕なんか風邪でボーっとしててソースとかやくの小袋入れたまま湯を注いだことありますよ」「はあ?」「で、麺がずるっと」「いや、もう言わなくていいから…」。私は最大の悲劇のヒロインの座を降りた。世の中、上には上がいる。

 (大田市・ぽのじ)

2016年7月9日 無断転載禁止