論語(ろんご)で温故知新(おんこちしん)(47)


【訳(やく)】

 先生(孔子(こうし))が言われた。黙(だま)って静かに意識(いしき)を集中する。次に飽(あ)きることなく幅(はば)広く学ぶ。そして面倒(めんどう)がらずに学んだことを人に伝える。私にできることはこんなことかな。


「知る」ことと「分かる」ことの違(ちが)い


 「知る」と「分かる」とはよく似(に)ていて違(ちが)います。「論語(ろんご)読みの論語知らず」ということわざは、まさにそのことをついています。


 ◆知る◆

 知識を振(ふ)りかざして、相手を見下すような態度(たいど)を見せられると、不愉快(ふゆかい)になりますね。

 私たちは本を読んだり、ビデオを見て分かったつもりになります。実際(じっさい)は、自分だけ分かっているつもりでも、なかなか人に分かってもらえないことが多いものです。

 知識を身につけることはかんたんだが、教養は身につきにくいそうです。知識に人格(じんかく)などありませんが、教養には君子(くんし)の人格があります。だから、教養のある人は信頼(しんらい)され、尊敬(そんけい)されるのです。

 教養を身につけるには自分一人ではできません。


 ◆分かる◆

 孔子の学問のやり方は、まずはじめは黙って集中するということです。この時はとても大きなエネルギーがいります。だから、大事な第一歩です。ここで雑音(ざつおん)や雑念(ざつねん)が入ったりすると、続きません。次に、一つの考え方に偏(かたよ)らず、いろいろな考え方を調べてみる。

 そして最後は、自分が分かったことを人に伝えてみる。伝えることは、もう一度自分の中で繰(く)り返(かえ)すということです。人に伝えてみると、思いがけないことがよくあります。途中(とちゅう)で分からなくなったり、自分の考えと違うことを話していたりします。書経(しょきょう)という中国の古典の中に「教うるは学ぶの半(なか)ばなり」といって、人に教えることは実は自分が学ぶことなのだとあります。

 だから、友だち同士で教え合うというのはとても大切な学習方法なのです。理解(りかい)の違う友だちや理解の遅(おそ)い友だちなどは特に、ありがたい友だちということになりますね。最後の一歩が大切です。

  (私塾(しじゅく)「尚風館(しょうふうかん)」講師(こうし)・小倉雅介(おぐらまさすけ))

2016年8月17日 無断転載禁止

こども新聞