理想のコーヒー生涯懸け研究 三浦 義武(みうらよしたけ)(浜田市生まれ)

理想のコーヒーを生み出すために生涯を懸けて研究し、世界発の缶コーヒーを発案した三浦義武
世界初 缶(かん)コーヒー発案

 浜田(はまだ)市出身の三浦義武(みうらよしたけ)(1899~1980年)は、理想のコーヒーを生み出すために生涯(しょうがい)を懸(か)けて研究を続け、世界初の缶(かん)コーヒーを発案しました。浜田市では2014年ごろから、義武の功績(こうせき)に光りを当てる活動が始まり、「コーヒーの薫(かお)るまちづくり」が進められています。

 棚田(たなだ)が並(なら)ぶ同市三隅(みすみ)町井野(いの)に生まれた義武は、浜田中学校(現在(げんざい)の浜田高校)から早稲田(わせだ)大学に進学しました。在学中からお茶に興味(きょうみ)を持っていた義武は卒業後、お茶と同じくビタミンが含(ふく)まれているコーヒーの研究に熱中しました。有名なコーヒー店を何軒(なんけん)も訪(たず)ねてコーヒーを飲み、時には体調を崩(くず)すほどでした。

 研究の結果、独自(どくじ)に配合(はいごう)した豆と2枚重ねにした布袋(ぬのぶくろ)を使う独自の方法を考案。味と香(かお)りが高く評判(ひょうばん)を呼(よ)びました。

「ヨシタケコーヒー認証制度」の試験で、三浦義武が考案した手順に沿(そ)ってコーヒーを入れる受験者(左)=2015年9月8日、浜田市殿町、市役所
 1935年には東京日本橋の白木屋(しろきや)デパートで「三浦義武のコーヒーを楽しむ会」を始め、人気を集めます。しかし、国の命令で会は中止になり、コーヒー豆の輸入(ゆにゅう)が少なくなってしまったことも影響(えいきょう)して、銀座(ぎんざ)にあった義武のコーヒー店も閉店(へいてん)してしまいました。

 故郷(こきょう)に帰った義武は51年、浜田市紺屋(こんや)町に喫茶(きっさ)「ヨシタケ」を開店しました。自分のコーヒーを海外に輸出しようと考えた義武は、浜田市内に多くあった缶詰(かんづめ)工場に注目しました。試行錯誤(しこうさくご)の末、缶に入れて保存(ほぞん)しても品質(ひんしつ)が落ちない方法を見つけ「ミラ・コーヒー」として販売(はんばい)すると、東京などで人気になります。缶コーヒーの製造(せいぞう)は数年で中止になりましたが、義武はその後も店でコーヒーを入れ続けました。

 浜田市は、2015年に「ヨシタケコーヒー認証制度(にんしょうせいど)」を創設(そうせつ)。製法や味などの審査(しんさ)を経(へ)て、現在は5軒が登録されています。市観光交流課の岡本好明(おかもとよしあき)課長は「今後も登録店を増(ふ)やし、義武さんの生み出したコーヒーを観光資源(しげん)につなげていきたい」と話しています。

2016年8月24日 無断転載禁止

こども新聞