論語(ろんご)で温故知新(おんこちしん)(49)


【訳(やく)】

 学問をするなら、自分を磨(みが)き、世のため人のために役に立つ学びをしなさい。自分のことを他人に知ってもらおうと、役にも立たない学びなら意味がない。


世のため人のために役立つ学びを


 孔子(こうし)にこれを言われた弟子(子夏(しか))は学問の目的を知り、後に、孔子教団(きょうだん)を代表する「学問の人」といわれる大学者になります。


 ◆熱い想(おもい)◆

 世のため人のために大きな功績(こうせき)があったとして、ノーベル賞受賞者は世界中で褒(ほ)め称(たた)えられます。しかし、受賞者ははじめからノーベル賞をもらうために努力を積み重ねたのでしょうか?

 「何百回の実験のうち、たまたま何か一つの幸運に出会うことがあった」あるいは、「はじめはほとんどの人から相手にされなかったが、やがて協力してくれる人が増(ふ)えていった」と言います。

 何がそこまで孤独(こどく)に耐(た)えて、がまんして努力を続けさせたのでしょう?

 きっと、何か熱い想があったに違(ちが)いありません。


 ◆君子の学び◆

 島根県出身の永井隆(ながいたかし)という人がいました。永井博士(はかせ)(医学)は明治41(1908)年生まれで、昭和26(1951)年長崎(ながさき)にて、43歳(さい)で亡(な)くなりました。

 長崎大学で放射線科(ほうしゃせんか)の医師(いし)として医療(いりょう)活動をしているうちに、37歳で白血病(はっけつびょう)と診断(しんだん)されました。そして、命はあと3年と言われました。2カ月後、長崎に原子爆弾(ばくだん)が落とされました。自分も大けがをしていましたが、医師として必死になって他の人の救護(きゅうご)活動にあたりました。

 「働ける限(かぎ)り働こう、指と腕(うで)はまだ動く。書くことができるし、書くことしかできない」とわずか二畳(じょう)の如己堂(にょこどう)という小さな家でたくさんの本を書きました。それは長崎、そして日本を再建(さいけん)し、世界の平和を訴(うった)えるためでした。博士の生き方は人々を感動させ、映画(えいが)や歌にもなりました。本は外国でも翻訳(ほんやく)されて、世界中の人々に読まれ、感動を与(あた)えました。

 「君子(くんし)の儒(じゅ)」とは、まさに永井博士のような人のことをいうのでしょう。

  (私塾(しじゅく)「尚風館(しょうふうかん)」講師(こうし)・小倉雅介(おぐらまさすけ))

2016年9月14日 無断転載禁止

こども新聞