山陰を撮り続けた世界的写真家 植田 正治(うえだしょうじ)(境港市生まれ)

山陰を撮り続けた写真家の植田正治((c)Sanae Numata)
日常(にちじょう)をテーマ、独特(どくとく)な表現(ひょうげん)

 世界的な写真家の植田正治(うえだしょうじ)(1913―2000年)は、境港(さかいみなと)市に生まれました。地元を拠点(きょてん)に、日常(にちじょう)そのものをテーマにして山陰(さんいん)の人物や風景を撮(と)り続けた作品は、国内外で高く評価(ひょうか)されています。

 絵を描(か)くのが大好きで将来(しょうらい)は画家になりたいという夢(ゆめ)を抱(いだ)いていた正治は、鳥取県立米子(よなご)中学校(現(げん)米子東高)の卒業が近くなると、東京の美術(びじゅつ)学校への入学を希望しますが、履物(はきもの)店を経営(けいえい)していた両親から強く反対されます。

 画家への夢をあきらめる代わりに、中学生のころから写真に熱中していた正治は、外国製(せい)のカメラを買ってもらいました。写真家の作品を見たり撮影(さつえい)方法を工夫(くふう)する中で、絵画に負けない写真の魅力(みりょく)に取りつかれます。

 1932(昭和(しょうわ)7)年、19歳(さい)という若さで自宅(じたく)に営業(えいぎょう)写真館を開業。年に一度、仲間と東京で開催(かいさい)した展覧(てんらん)会に出品した作品は、どれも高い評価を受けました。

植田正治の代表作「少女四態」=1939年、弓ヶ浜で撮影
 39(同14)年、近所の少女4人を境港から米子にかけての弓ヶ浜(ゆみがはま)半島で撮った「少女四態(よんたい)」は、代表作の一つといわれています。ひとりひとりにポーズをつけ、画面の中にバランスよく配した「演出(えんしゅつ)写真」と呼(よ)ばれる独特(どくとく)の表現(ひょうげん)方法を考えました。

 家族や鳥取砂丘(さきゅう)をテーマにしたシリーズも知られています。

 71(昭和46)年には、山陰の風土を背景(はいけい)に、素朴(そぼく)で生き生きとした子どもたちの姿(すがた)をまとめた写真集「童暦(わらべごよみ)」を出版(しゅっぱん)。78(同53)年には、思い出深い松江(まつえ)のたたずまいを撮影した写真集「松江」も発行しました。

 写真と向き合う姿について「撮りたいものしか撮らない」「写真することが、とても楽しい」というのが口癖(くちぐせ)。プロの写真家というよりも、好きな被写体(ひしゃたい)を好きなように撮る、アマチュア写真家と自分自身を語りました。

 約1万2千点の作品は、大山(だいせん)が見える伯耆(ほうき)町に寄贈(きぞう)。95(平成(へいせい)7)年、町が植田正治写真美術館を建設(けんせつ)し収蔵(しゅうぞう)、展示(てんじ)してあります。

 96(同8年)にはフランス芸術文化勲章(くんしょう)、98(同10)年には第1回鳥取県県民功績賞(こうせきしょう)を授与(じゅよ)されました。

2016年9月21日 無断転載禁止

こども新聞