論語(ろんご)で温故知新(おんこちしん)(51)


【訳(やく)】

 先生(孔子(こうし))が言われた。私は若い頃(ころ)、一日中何も食べず、一晩(ひとばん)中寝(ね)ないで考えたことがある。そんなことをしても無駄(むだ)だった。やはり、先生や本から学んだ方がよいのだ。


一人で考えず先生や本から学ぼう


 あたりまえのことだが、読書や先生から学ぼうとしない人は、いつまでたっても分からない人だということでしょう。

 ◆一人で考える◆

 今日の章句(しょうく)は孔子自身が「十有五(じゅうゆうご)にして学(がく)に志(こころざ)す」(15歳(さい)で学問の道に入ろうと決めた)と述(の)べた頃のことかと思います。中学生の皆(みな)さんに近い年頃のことかもしれません。

 学問をしようと決心して、一人でがんばろうとしたのでしょう。しかし、つらく苦しいだけで、いっこうに考えが深まりません。先師(せんし)である孔子でさえ、皆さんと同じです。一人でいくら考えても、分からないことは分からないのです。やがて、勉強することもつらくなってしまいます。それでもこだわり続けますか? あるいはそこで止(や)めますか?

 どんなもの知りでも、一人の人間が知っている知識(ちしき)には限(かぎ)りがあります。これから未来のある少年少女たちは、ほとんど知らないことばかりでしょう。

 私なら、分からないことは本を読んで調べます(今頃はインターネットで検索(けんさく)かな?)。あるいは、近くにいる先生や友だちに、どんどん聞きます。

 ◆疑問(ぎもん)を持つ◆

 学習にはだいじなことがあります。それは、「どこが分からない」「何が分からない」という、分からないことがはっきりしていることです。そうでなければ、調べようがありません。また、ポイントをしぼって聞くこともできません。

 一人で深く考えることもだいじなことです。ただし、考えるとは、答えを見つけるのではなく、「なぜ?」「どうして?」という分からないところや疑問を見つけるのです。疑問は学びのだいじな土台(どだい)となります。

 昔から、人間の知恵(ちえ)はまず、疑問を持つことから始まりました。

 (私塾(しじゅく)「尚風館(しょうふうかん)」講師(こうし)・小倉雅介(おぐらまさすけ))

2016年10月12日 無断転載禁止

こども新聞