島根ただ一人の横綱(よこづな) 陣幕 久五郎(じんまく きゅうごろう)(松江市生まれ)

島根でただ一人の横綱・陣幕久五郎の「横綱土俵入之図」
幕内(まくうち)勝率(しょうりつ)9割(わり)超(こ)す強さ

 島根県出身の大相撲(おおずもう)力士の中で現在(げんざい)までただ一人、横綱(よこづな)を務(つと)めた陣幕久五郎(じんまくきゅうごろう)(1829―1903年)は、松江(まつえ)市東出雲(いずも)町下意東(しもいとう)で農家の三男として生まれました。9割(わり)を超(こ)す幕内勝率(まくうちしょうりつ)を誇(ほこ)る強豪(きょうごう)力士で「負けずや」と呼(よ)ばれ、一度も「待った」をせずに受けて立つ堂々とした取り口でした。

 小さい時から体が大きく力も強かった久五郎は、力士になる決心をして1847(弘化(こうか)4)年、18歳(さい)で広島県尾道(おのみち)市に出て夢(ゆめ)の第一歩をスタートさせます。体格(たいかく)は身長が174センチ、体重が139キロくらいで固太りの体だったようです。

 初土俵(どひょう)を踏(ふ)んで以降(いこう)、好成績(せいせき)を収(おさ)め66(慶応(けいおう)2)年に当時、最高位の大関(おおぜき)となります。翌(よく)年、37歳の時に横綱の免許(めんきょ)を授(さず)けられました。在位(ざいい)は実質(じっしつ)10カ月ほどで、江戸(えど)時代最後の横綱でした。入幕(にゅうまく)から引退(いんたい)までの戦績(せんせき)は「87勝5敗3預(あず)かり17引き分け」。勝率は9割(わり)4分(ぶ)6厘(りん)の勝ちっぷりでした。

 引退(いんたい)した69(明治(めいじ)2)年、大阪(おおさか)府から大阪相撲頭取総長(とうどりそうちょう)に任命(にんめい)され11年間、務(つと)めます。また、相撲界の改革(かいかく)を行い、今日の大相撲の基礎(きそ)を築(きず)く大きな功績(こうせき)を残します。

陣幕相撲大会で力相撲を披露(ひろう)する意東小学校の児童=10月16日、松江市東出雲町下意東の筑陽神社
 郷里(きょうり)の下意東に73(同6)年、44歳の時に自ら「陣幕久五郎碑(ひ)」を建立(こんりゅう)。さらに1900(同33)年、歴代横綱の力士名を刻(きざ)んだ顕彰(けんしょう)碑を東京に建てます。

 03(明治36)年、東京の自宅(じたく)で病気のため、74歳の生涯(しょうがい)を閉(と)じました。

 地元の有志(ゆうし)は、第12代横綱・陣幕久五郎の業績(ぎょうせき)をたたえ後世に伝えるため「陣幕会」を結成。毎年10月、地区内の筑陽(ちくよう)神社例祭に合わせて意東小学校児童による「陣幕相撲大会」を開催(かいさい)しています。

 91(平成(へいせい)3)年5月、第58代横綱の故千代(こちよ)の富士(ふじ)が引退して年寄(としより)・陣幕を襲名(しゅうめい)したのに合わせて、東出雲町と有志が実行委員会を組織(そしき)。同年10月、陣幕親方(おやかた)と、師匠(ししょう)の第52代横綱北(きた)の富士(ふじ)の九重(ここのえ)親方を招(まね)いて「横綱陣幕久五郎顕彰記念事業」を行い、あらためて久五郎の偉大(いだい)さに触(ふ)れました。

2016年10月19日 無断転載禁止

こども新聞