視覚障害者に米支給 石見銀山は福祉の先駆け

石見銀山料の視覚障害者への福祉制度を調査し、「郷土石見」に発表した森脇登さん
 石見銀山料(大田市)の視覚障害者に対する救済制度は、福祉事業の先駆けだった-。石見地方の歴史、文化を研究する石見郷土研究懇話会の会員で、石見銀山に関する調査、研究を続けている森脇登さん(89)=川本町川下=が、石見銀山料での福祉制度を調べ、機関誌「郷土石見」101号で紹介した。視覚障害者に米を支給する取り組みなどから、「人間尊重の精神があった」とまとめている。

 森脇さんは「石見銀山料の福祉-視覚障害者への救済」と題し、これまで見逃されがちだった当時の福祉について発表。江戸時代中期の1753(宝暦3)年に、石見銀山料内で生活上のさまざまな統一を図るため、大森代官所が出した定書(さだめがき)を基に調べた。

 定書には、地方役所に備えるべき道具や人馬賃銭(旅費規程)、江の川の渡船の項目に加え、視覚障害者の人数と米支給に関する決め事などを記載。視覚障害者の人数は、波積組(36カ村)、大家組(30カ村)などの6組、153カ村で、男性94人、女性60人の計154人だった。

 当時、一般的に視覚障害者の男性は琵琶演奏やマッサージ治療を、女性は三味線を弾いて歌うことなどを仕事とし、定書では、養育人がいないなど大森代官所が認定した視覚障害者のみ米を支給するとしている。

 米の支給は各村が費用を割り当て、6組のうち大半が年間で1人当たり1石5斗(約225キロ)を支給。森脇さんは「武家に仕える者の最低支給高が、1人当たり1日5合、1年間で1石8斗。これより若干少ないが、十分に暮らしていける量と思われる」と推測。

 大森代官所は厳しく年貢を取り立てたが、一方で福祉施策も実施しており、森脇さんは「硬軟使い分けた政策」と指摘。「眼科医の少ない当時は眼病にかかる人も多く、失明する人もいたのだろう。視覚障害者に手を差し伸べる、全国的に素晴らしい福祉事業だ」と評価した。

2016年11月12日 無断転載禁止