五輪旗手を務(つと)めた水泳選手 福井 誠(ふくい まこと)(浜田市生まれ)

東京五輪を控(ひか)え、プールで練習する福井誠=1963年、東京都内
2大会で「銀」「銅」に輝く

 2020年に東京で五輪が開かれます。前回の東京五輪があった1964年、開会式の行進で日本選手団(だん)の先頭に立ち、旗手を務(つと)めたのは浜田(はまだ)市元浜(もとはま)町出身の水泳選手、福井誠(ふくいまこと)(1940~1992年)でした。

 誠は幼(おさな)い時から泳ぎが得意でした。3、4歳頃(さいごろ)、父親と釣(つ)りに出掛(か)けた時に船から落ちてしまいましたが、器用に犬かきをしていたという逸話(いつわ)が残っています。

 浜田第二中学校(浜田市原井(はらい)町)に入学後、本格(ほんかく)的に練習を始めました。1学年先輩(せんぱい)の西井忠(にしいただし)さん(77)=浜田市元浜町=は「指導(しどう)者はいなかったが、自分で工夫(くふう)しながら練習を重ね、2年生の頃には別格の選手になっていた」と振(ふ)り返ります。実際(じっさい)、2年生の夏の県大会200メートル自由形では優勝(ゆうしょう)しました。

 浜田高校(同市黒川町)に進学した誠でしたが、当時はプールがありませんでした。しかし、浜田川や日本海、江津(ごうつ)市の江(ごう)の川などで練習を続けました。

母校の原井小学校に展示されている福井誠の品々=浜田市港町
 その後、プールが設置(せっち)され、練習に集中できるようになった誠は、めきめきと記録を伸(の)ばし、日本高校選手権(けん)200メートル自由形で優勝しました。速さの理由はフォームの美しさでした。腕(うで)で水を捉(とら)えてから、かききるまでの動作が流れるように美しく、水しぶきがほとんど上がらなかったと言います。

 卒業後は、実業団の名門だった八幡製鉄(やはたせいてつ)に入社し、世界の舞台(ぶたい)を目指して力を磨(みが)きます。1960年のローマ五輪800メートル自由形リレーは銀メダル。実績(じっせき)や人柄(ひとがら)が認(みと)められ、64年の東京五輪で旗手を任(まか)せられました。この大会でも同種目で銅(どう)メダルに輝(かがや)き、日本選手団を引っ張(ぱ)りました。

 原井小学校(浜田市港町)には、誠が東京五輪で着用したジャージーなどが展示(てんじ)され、後輩(こうはい)たちに偉業(いぎょう)を伝えています。

2016年11月16日 無断転載禁止

こども新聞