竹島周辺漁場の価値/つながる竹島と漁船拿捕

島根県竹島問題研究顧問 藤井 賢二

 「独島(竹島)周辺の海は水深2000メートルにも及び、また海流の関係か漁業資源はほとんどない。イカがとれた時期もあるが、回遊性の高いイカはすぐいなくなった」と、岩下明裕氏が著書『入門国境学』で述べている。事実だろうか。

 確かに、韓国が李承晩ライン宣言をして1950~60年代に日本漁船を多数拿捕(だほ)したのは、竹島周辺ではなく、主に済州(チェジュ)島から対馬にかけての海域だった。大規模な沖合漁業である底引き網とまき網の漁場がそこにあったからである。65年の島根県などの試算でも竹島とその周辺の漁場価値は1億~5億円で、52年の李承晩ライン水域全体実績の130億円に比べてはるかに小さかった。

 しかし、その後、日本海沖合の漁業が発達し、竹島周辺漁場の開発も進んだ。

 竹島周辺ではズワイガニの底引きはできないが、より深海にいるベニズワイガニのかご漁は行われた。70年代半ば、近畿農政局の資料によれば「竹島周辺」(竹島を中心とした約6万平方キロの海域)は、山口県~京都府の同漁業漁獲量の4割以上を占めていた。

 戦前の調査によって、日本海中央部を北上するサバの魚群があること、竹島・鬱陵島間水域に漁場があることが発見されていた。戦後の調査でも竹島近海のアジやサバの漁獲が期待され、大日本水産会の76年の試算では、竹島と「竹島周辺」漁場の価値計76億円のうち、16億円がアジやサバのまき網漁業だった。

 「竹島周辺」最大の資源で、71年には4万トンも捕れていたイカは77年には10分の1に激減し、主漁場は大和堆(たい)など日本海北方に移った。しかしイカが「いなくなった」わけではない。77年の「竹島周辺」のイカ漁獲量は、同年の浜田港のイカ水揚量の1・7倍と少ない量ではなかった。

 78年5月、韓国は竹島に領海12カイリを設定し、豊漁の期待もあって竹島近海に集まっていたイカ釣り漁船約100隻を排除した。これは国を動かす問題となり、日本は9月の日韓定期閣僚会議で竹島近海での安全操業を確保しようとしたが、失敗した。

 現行の韓国の中学校教科書「社会」(志学社)には「独島付近の海域は暖流と寒流が交わる所で、プランクトンが豊富で良い漁場を形成する。冬と春にはめんたい漁、夏と秋にはイカ漁が活発」とある。竹島と竹島近海で操業できない日本にとって、現在の竹島周辺での漁業資源や漁業の実態は知りたいところである。

 岩下氏が竹島周辺に「漁業資源はほとんどない」と強調するのは、彼がいう「『領土』という病」(主権や領土を守ることへの過剰な熱情のことらしい)を抑えるためと思われる。とりわけ、日本人の怒りを呼び起こす李承晩ラインによる拿捕、すなわち漁業問題と竹島問題とは関係ないと主張したいのだろう。しかし、竹島周辺での漁業が盛んでなかった50~60年代でも、二つの問題は無関係ではなかった。

 「竹島問題は武力に訴えるものではなく、政治的に解決すべきで」「下手に武力紛争を起こすことは李ライン全域に対して韓国の圧迫強化を導くことになり、かえって漁民を苦しめるだろう」と、54年に海上自衛隊舞鶴地方総監は語った(同年11月5日付『朝日新聞』)。この前年に韓国は大量拿捕をはじめ、戦後拿捕された日本漁船は180隻を超えていた。そしてこの年から韓国は刑期を終えても漁船員を抑留し、多くが貧弱な食事と長期の収容所生活に苦しんだ。

 韓国の日本漁船拿捕と漁船員抑留の強行によって、日本の竹島への対応の手は縛られた。漁業問題解決に追われた日本は、日韓会談や65年の日韓条約でも、韓国の竹島不法占拠を解消できなかった。済州島から対馬にかけての海域を舞台とした韓国の「人質外交」(韓国の金東祚(キムトンジョ)外相の言葉)と竹島とはつながっていたのである。

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 ふじい・けんじ 島根県吉賀町出身。専門は近現代日朝・日韓関係史。

2017年3月12日 無断転載禁止