「雲州そろばん」の基礎を築く 村上 吉五郎(むらかみ きちごろう)(島根県奥出雲町生まれ)

村上吉五郎と伝えられる肖像画(しょうぞうが)=島根県奥出雲町横田の雲州そろばん伝統産業会館展示資料室
珠(たま)を精巧(せいこう)に削(けず)る機械作る

 そろばんの品質(ひんしつ)がよく、全国2大ブランドとして知られる島根県奥出雲(おくいずも)町の「雲州(うんしゅう)そろばん」。その基礎(きそ)を築(きず)いた村上吉五郎(むらかみきちごろう)(1787~1876年)は、同町亀嵩(かめだけ)の大工(だいく)の家に生まれました。

 吉五郎は、小さい時から父親について大工仕事を習いました。15歳(さい)の時に土蔵(どぞう)を建てたといわれるほど器用で、京都などで寺社建築(けんちく)に関わるなど、修業(しゅぎょう)に励(はげ)みました。

 40歳前後のころ、腕(うで)を見込んだ地域(ちいき)の資産家(しさんか)から、広島県内で作られたそろばんの修理(しゅうり)を依頼(いらい)され、また自らもそろばんを作りました。

 そろばんの珠(たま)(=玉)は堅(かた)い木を材料にしており、地元の山からふさわしい木を選んで、手作りで加工しました。しかし、珠は同じ形と大きさのものを大量に用意しなければならず、手持ちの道具では作業がはかどらなかったため、珠を削(けず)る機械を作ることにしました。

村上吉五郎が考案した足踏み式ろくろと、吉五郎が製作したそろばん=島根県奥出雲町横田の雲州そろばん伝統産業会館展示資料室
 吉五郎は足で踏(ふ)んで珠材を回転させ、刃物(はもの)を珠の形にあてて削っていく「足踏み式ろくろ」を考案します。これによって、均一(きんいつ)で狂(くる)いの少ない大量の珠ができるようになりました。これ以降(いこう)、大工をやめて、そろばん作りに専(せん)念(ねん)。精巧(せいこう)な雲州そろばんの基礎を作ります。

 76(明治9)年、京都で開かれた博覧会(はくらんかい)で吉五郎のそろばんが銅賞(どうしょう)を獲得(かくとく)。栄誉(えいよ)を喜び同年、89歳の生涯(しょうがい)を閉(と)じました。

 奥出雲町では古くから、日本刀の材料にする玉鋼(たまはがね)をつくる「たたら製鉄(せいてつ)」が行われています。そろばん作りが同町の産業の一つとして発展(はってん)したのは、そろばん用の堅い木を削る良質な刃物を生産していたこと、雪が深い地域でも家の中でできる手仕事だったことなどからです。

 伝統(でんとう)的技術(ぎじゅつ)を用いて作られる雲州そろばんは文化財(ぶんかざい)的価値(かち)が高いとして、1985(昭和60)年に国の伝統的工芸品の指定を受けました。現在(げんざい)、年間生産量は約3万丁。そろばん塾(じゅく)や学校での授業(じゅぎょう)、また大人のそろばん教室を開校し認知症予防(にんちしょうよぼう)などで使われています。

2017年1月25日 無断転載禁止

こども新聞