世事抄録 蝶ネクタイと古代

 65歳になった記念に、亡き父のトレードマークだった蝶(ちょう)ネクタイを着け始めた。ほんの戯(たわむ)れごとだったが、首都圏在住の郷里の集まりに着けて行くと「先生に似てきた」と父の話になった。蝶ネクタイで教壇に立ち、退職後は古代中世史の研究者として一貫して島根で過ごした父。一方の私は故郷に戻らず、東京で編集者からプロモーション企画の仕事に進んだ。

 年を重ねて里心がついたのか、数年前から都会で島根を宣伝し、出会った人に島根を語り、その人に合う島根の旅を紹介するようになった。先日、知人に蝶ネクタイの経緯を話したら「あなたの話から常に古代出雲の匂いがするのは、父上の思いが心にあったからなんだね」と言われた。 しかし、私は少々考えが違う。もともと人の心の奥底には、古代という原風景があるのだ。それは悠久の時へのロマン、おのが生への問いである。私の話に古代の香りがあるのではなく、私をきっかけに島根を旅し、その人の中の「古代」が呼び覚まされた、というのが正しいのではないか。どちらにせよ私が薦める旅が古代の歴史に関わるコースなのは確かだし、都会ではそういう旅こそ求められているようだ。

 思い付きで始めた蝶ネクタイ。古代出雲の研究を通し、観光振興に寄与した父の意思が蝶となり、私の胸元に飛んできたのかもしれない。

 (埼玉県在住、島根県奥出雲町出身・鬼灯)

2017年1月29日 無断転載禁止