浜田開府400年

 浜田開府400年が2年後に迫った。そんな中、石見郷土研究懇話会会長の岩町功さん(87)が最新1月刊の「郷土石見」に一歩踏み込んだ考察を載せた。岩町さん自身も含め「浜田に住む者はなぜ藩や城に対する思いが希薄なのか」という問いだ▼素因の一つに幕末の「浜田藩の自焼退城」を挙げる。「長州軍に追い詰められた藩が城に火を放って敗走した」が一般的な解釈だが、これを「浜田は見捨てられた」とするのは粗雑で感情的把握ではないかと説く▼考察を読み進めると、当時の藩重臣たちの苦悩ぶりが伝わってくる。攻め込む長州軍。藩主松平右近将監武聡(うこんしょうげんたけあきら)は病で指揮できぬ状態。援軍は退き孤立無援。重臣会議では藩主夫人、世子らを城外に逃し城を死守するとの方針に▼しかし夫人は藩主とともに残ると覚悟を決め動かない。膠着(こうちゃく)状態打破のため側近は密かに藩主も城外に脱出させる。それを知った隊長らは「空城を守ってどうなる」と反発。家老が「切腹し責任をとる。皆は城外へ」と決断すれば、中老、隊長からも切腹の申し出が相次ぐ▼この状況下で「辱めに耐え一同退城しお家再興を図る」との考えに収斂(しゅうれん)されていく。岩町さんは「城を焼くことは敵に兵器を渡さぬための戦いの鉄則。退城の際には町屋にもお金を配った」との史実を丹念に紐解(ひもと)く▼指揮官不在の中で、迷いながらも懸命に考え「生きる」を選んだ家臣の思いが胸に迫る。岡山県津山市にある藩士の墓石は全て浜田を向いている。郷土の歴史を学び直したい。(守)

2017年2月11日 無断転載禁止